2008年08月27日

ドラマのように 小藪温泉への旅 3


再び、玄関に立つ






玄関奥に、田原俊彦と大竹しのぶの写真が掛けられている。










松本清張原作 「張り込み」 1991年


大竹しのぶの「雄弁な無表情」(本文より)とも言える名演技が今も印象に強く残っている。

おとなしい「主婦」が、シリアスな「女」に豹変する様は薄ら寒くなるほどの衝撃を感じた。

トシちゃんの若々しくも渋い演技もきらりと光る。寺田農はさすがにベテラン、難しい役柄をこなしていた。



「張り込み」のロケがあった少し後に、会社の慰安会でこの温泉に寄った事があった。






建物の周りを散策




廻り廊下が見える なんと、国指定有形文化財に指定されている。 大正年間の建築





樹齢何年だろう?




小藪コウトコ橋


銀杏子って聞いた事があるな





小藪川の渓谷 紅葉がきれいやろうね。  秋になったらまた行こうよう。













玄関の右手に受付が 500円払って入湯す






一般休憩室





2階の廻り廊下は、ここでしか見た事がない。





浴場は階下、知らないと迷いそう。





この囲炉裏も、いーろ?face06




立派なひょうたんだ 清兵衛作? 





湯が見えてきた。




ここでしばしのお別れですね。 な~んちゃって一人で来たんですけどね。face03





誰も居なかったので浴室を撮影 なんて風情のある。





最初は少し熱かったが、まーきみ。は江戸っ子なので平気でしたよ。face09






定期的にお湯が出る?




入浴シーン 恥ずかしいので小さく (クリックしても大きくなりません)






湯上りにしばし休憩 オリンピックも忘れて・・・





山の季節は、すっかり秋めいてきましたね。





たった一人の記念撮影 もののあはれを感じる。

非ッ常にサビシ~ッ!!(財津一郎風)


久々に「温泉らしい温泉」に入った感じだ。

近頃の健康ランド風温泉に浸り気味だったが、これからは昔ながらの温泉をめぐってみたい。





肱川中学校







  

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2008年08月26日

竜王の淵 小藪温泉への旅 2

小藪温泉が休みだった数日後、再び訪れました。



小藪温泉の入り口(鹿野川ダム下流)



この鳥居をくぐってさらに行くと、2キロほどで温泉に到着する。



  
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2008年08月25日

小藪温泉への旅 1

  
野村ダムの手前、出会い大橋辺の看板。


ここを越えると、気分はおすもうさんface08



  
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2008年08月23日

やまぢこえて 1



足摺宇和海国立公園 法華津峠に登りました。

かつては吉田町の学校の遠足の定番だったとか。



宇和島側からは死角になって見えにくいが、トンネルの手前に、法華津峠に行く看板が建っている。



















途中の尾根(第2白浦トンネルの抜けている山)から 南側に見える第一白浦トンネルと 汽車







北側の第3白浦トンネル かすかに汽車が見える(かな?)





拡大図






さすがに「みかんの町吉田」どの畑も見事に整備されている。 しかしこの目もくらむような急峻の斜面に畑を切り開くとは!






法華津湾を望む給水施設の建物の後ろに鎮座する千手観音か
たしか43番札所明石寺のご本尊







あれに見えるは玉津小学校  吉田町の小学校は吉田小学校に全て統合されるように計画されている。




それにしてもこの坂! 上から見ると改めて急峻さが判る。face08



この店、よく見る店だ






途中、森高山に向かう遊歩道を示す標識




しかし、道は草が生えて見えない。「バイクはご遠慮ください。」の文字が




展望台公園に着いたようだ。車を停める





展望台にあがってみると





おぉ絶景! あの小島は大良の鼻の島だな。




嘉島、戸島、日振島、遠く九州の山並みも!





現在の国道56号線は、法華津隧道を初めとする10本のトンネルを抜けるメインルートがありますが、これが完成する昭和45年以前は、この法華津峠がメインルートでした。
工事の完成により自動車の走行は、距離にして11キロが5,7キロに、時間にして40分が10分に短縮されました。

ちなみに、これを含めた45年の国道56号線の改良工事により、松山ー宇和島のバスの走行時間は5時間から2時間半に短縮されました。自動車道路完成で、さらにその半分以下に短縮されようとしています。


明治の初め、吉田町白浦の旧庄屋、赤松則忠という人が吉田町と宇和町に道路を付けようと計画しました。
彼のプランは当時、世人から「狂気の沙汰」と言われましたが、100年後完成した国道56号線のルートは彼が測量したルートとほぼ一致したそうです。
(資料 愛媛県百科大事典)


  

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2008年08月22日

秋 風の吹く場所

暑い夏だった。







夏ばてで体力が消耗してしまった。







まぁ記録的な猛暑だから、











もう、しょ うがない






ですね。icon04







秋風の吹く海 旧内海村 灘地区から由良半島を臨む




少し行くと






大浜の「内海ふれあい広場」






メニューいろいろ





私のお薦めは




あの六角堂






あまり知られてないが、ここから見る夕日は最高なのだ。


夜、ここから月を見たことも。





夏でも心地よい風が吹き抜ける。  少し笹が伸びてるのが残念だ


ここに寝転んで、ウトウトと寝てしまったことも。


癒しのバイブレーションに包まれて


初めてキミコとここに来た時、海を見ながら心が穏やかになって体が緩んでくるのを感じた。


「これだけリラックスできるって事は、普段よほどストレス感じてるんやね~」と苦笑しながら話したのを思い出す。

もう、10年以上も前のことだ。


その後、ここを通るたびに休憩してたが、最近はご無沙汰だ。


これから、時々立ち寄ってみよう。


お遍路さんも良く休んでいるのを見かける。







雨の後は、背面の山からせせらぎが聞こえることも。











トンネルを抜け、柏を過ぎて、御荘町の手前






御荘近くの展望台 内海展望所




ここからの眺めも良い 除草作業中 おかげさまで見晴らしが良くなった。face05









  

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2008年08月20日

安森洞 2 川と釣堀


安森洞の川で水遊びに興じる子供たち



外の釣堀で、釣りに興じる子供たち。

買い取り価格100g 140円face08


「今日は家族6人やから、6匹まで!」face06

「でも、お客さんが2~3人来るかも?」 face03

「やかましいわい!」face07






何処の家族も「漁獲高調整実施中」face09

奥の休憩所には



鍾乳石や



ゴールデンバットが!face08






ローカル番組の取材や







この写真は知人に似てる?





池ではまだ、釣りが続いている












〆て1400円也   図られた・・・・face07




流しと包丁を借りて、捌いて帰る人も。











焼き上がり  中々美味であった。 満足 満足♪
  
タグ :安森洞釣堀

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2008年08月19日

宇和島駅の遺跡 宇和島機関区


C12 175 宇和島所属 1969.03.16. 予讃本線 宇和島機関区






さて先日申し上げたように「鉄道物語」によれば、宇和島駅にも今は使われていないSL時代の遺跡があるそうです。




宇和島機関区(宇和島運転区) 向こうに見える構造物は転車台 建物は扇形機関庫(ラウンドハウス)の名残

なんと!


四国地方に現存する扇形機関庫としては唯一



のものらしい!




再度アップ 上から見ると、こんな形





転車台


この上に乗せた車両を回転させて向きを変えたりするんやね。

セイコウさんが子供の頃乗った予土線の記憶で

「行きしは、蒸気機関車は、前を向いて客車を引いてましたが、帰りは、蒸気機関車は、バックで客車を引いていたのが、印象的でした。」

と貴重な情報を寄せてくれました。

当時の終点江川崎ではその設備がなかったのだろうと納得した。





余談続く

そんなことを書きながら思い出したのは、小学校2年の時、ここに見学に来てSLの釜の中に石炭を投入させてもらったり、前述の転車台で機関車が回転するのを見たりした。
すっかり忘れていたことを思い出した。

学芸会のとき、他に見学に行った「宇和島造船」「宇和島郵便局」と共にこれらを題材にした劇をした。

鉄道の職員に扮した子らが、朝のラジオ体操をしている横に「うわじまきかんく」と言う看板を立て掛けてあったのをはっきりと思い出した。

駅員の朝はラジオ体操で始まる、と聞いたのをそのまま演出したのだろう。

余談終わり






トロッコ列車「清流しまんと号」が格納されている。(夏季は稼働中)

まだ、この施設は現役で使用されているのだろう。face08








この塔も、今日まで何かわからなかった。

これは蒸気機関車に水を補給してた給水塔らしい。


いずれも蒸気機関車が廃止された1970年頃から使用されてないようだ。




給水塔の横に「安全第一」のゲート ここが機関区の入り口か


手前に守衛室みたいな建物が?face08



出勤、退勤の管理や出入りする人のチェックをしてたのだろうか?



このような広大な土地を何時までも放置しているとは考えにくいので、いずれは全て形を変えてしまうだろう。


そんな私の想像とは無関係に、これまでの南予における鉄道の歴史を今も語りかけているようだ。





昭和16年6月 山口県の日立製作所から船で輸送された機関車 吉田町知永海岸に陸揚げされる。

路線が竣工したのが昭和14年だったが、戦況が悪化し車両を配するのに2年かかった。
その間、線路には草が生えトンネルは人馬の通路と化していた。
ようやく昭和16年7月2日に宇和島ー宇和間の部分運行が開始される。太平洋戦争突入の4ヶ月前であった。

未開通の八幡浜ー宇和間は、バスが運行していたが、鉄道利用客の3分の1の定員しかなく、連絡も悪かったため終日停留所の前には大勢の列をなし、不便この上なかったと言う。

終戦間近の20年6月に予讃本線がようやく開通をするのだが、そのために地域住民が血のにじむような努力をしたのは既に伸べた通りである。




宇和島機関区所属の蒸気機関車  機関車留置線へようこそ より頂きました





おまけ


地方局の隅に珍しいものがface08



地方局の建つ前は、ここは繭検定所だった。
93年の住宅地図にはまだ載ってるのでそんなに古い時代ではない。

これは残されるのだろうか、捨てられるのだろうか。

出来れば残して欲しいと思う。



  

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2008年08月18日

安森洞 1 鍾乳洞探検隊!


甥、姪を連れて、安森洞に行きました。
少女はひとり、かるた全国大会出場のため居ません。


好評の「ゆず酢」が無かった?どうしたんやろう?face10


この奥に、「安森洞」と言う鍾乳洞があります。 水の少ない時期なので足を濡らさず入ることが出来る。





釣堀 鱒が釣れマス。






安森洞入り口  この場所を最初に発見した人は驚いただろう。


まさに深山幽谷



鍾乳石が光る、入り口の床  ゆかなくては!face09




まーきみ。隊長が先頭  数字の2で〇〇な顔になる子供たち。




すれ違う人にヘルメットを貰った。  道は中ほどでございます。







この曲がり角を越えれば、終点です。 チャンチャンチャラチャララン♪(おーいヤマダく~ん)




長くつらい道のりであった。





美しく光り輝く 鍾乳石 





これだけの洞窟になるまで、どれくらいの時間が経ったのだろう。





まーきみ。隊長 無事帰還face09







  
タグ :安森洞

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2008年08月17日

風の博物館 鉄道物語


どんぐり社長が紹介されていた「鉄道物語」に行ってきた。



野村から鹿野川沿いに肱川に





鹿野川ダムに近い桜の名所にあります。






高台の住宅地の奥に。








旧肱川町 風の博物館 歌麿館も併設されている。







広くてきれいなホール





「風」と言う文字のついた題名の本が所蔵されている(コミックもあり)




益鳥の帽子を被って記念撮影





宇和島鉄道だけでなく、私鉄愛媛鉄道(大洲ー長浜・大洲ー内子)の資料も展示されていました。


私鉄愛媛鉄道は、昭和8年に私鉄宇和島鉄道と共に国鉄に移管されましたが、大正7年に大洲・長浜町間を開業し大正9年に大洲・内子間を開業しました。
移管後、長浜から松山まで延長されて以後、予讃本線となりました。


私が高校を卒業して数年後(昭和61年)に予讃本線(63年から予讃線と改称)は、いわゆる「内子廻り」が開通してそれまでの「長浜廻り」より20分ほど時間短縮になりましたが、それ以前に私鉄愛媛鉄道から国鉄に移管した旧内子線が存在していた事を私は知りませんでした。その旧内子線は五郎駅を起点とする予讃本線の支線でした。
(その形状から盲腸線と言われたらしい)
かつては木材の運搬が主目的でしたので戦後は典型的な赤字路線となり、廃止の対象になるレベルでしたが、上記の通り予讃本線の短縮ルートに旧内子線が利用されることになったので廃止を免れたそうです。
それまでの「長浜廻り」に取って代わってメインルートになりました。

そういった経緯があったのも、全く知りませんでした。


余談ですが宇和島駅も当初は、大洲から肱川沿いを宮野下、近永、江川崎と繋がる「第104号腺」が実現すると近永からの支線になる予定でした。
不思議なことに宇和島市の関係者は誰も自らが不利になる104号線を受け入れていたようです。高知ー愛媛の物流にはそれが一番都合がいいからだとか。(山村豊次郎傳)

現在の路線(103号線)を望んだのは八幡浜、宇和、吉田、南宇和郡や宿毛の人々だったらしいですが、残念なことに南宇和郡への伸張はありませんでした。

現在の宇和島駅から内港方面に臨海鉄道を引く予定もあったようですが、それも中止。
その跡地は、現在も細長い住宅地になって残っています。
尚、私鉄宇和島鉄道の駅が当初、現在の城北中学校のあたりに建設したのは、将来須賀川沿いに臨海鉄道をお上がり場(現在の樺崎)に建設するのを設計者が見越してこの地を選んだということです。(山村豊次郎傳)






現在の五十崎町 この先はかつて終点の内子駅 双方旧駅より移転している。

「何を五十崎、内子の手前」と言う言葉が地元にはあるそうな。
「恐れ入谷の鬼子母神」の地方版か?


さて「鉄道物語」によれば、宇和島駅にも今は使われていないSL時代の遺跡があるそうです。




これは駅前に展示されている私鉄宇和島鉄道で走っていた機関車のレプリカです。

厳密に言えば遺産ではありませんが、充分に往時を偲ぶ事ができます。


宇和島駅の東側に国鉄時代の「宇和島機関区」(現在の宇和島運転区)に四国に唯一の「扇状機関庫」が現存し、これは四国で唯一のものだそうです。



上から見ると、こんな感じになってる。


さて、宇和島駅の遺跡につづく。







漕艇用ののボートかface08
(鹿野川ダム湖畔)

  

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2008年08月15日

宇和島鉄道の遺跡 4 吉野の橋脚

次は吉野へ



広見川鉄橋に差し掛かる 列車 あの客車は?



この前、機関区で見たやつだ。face08
トロッコ列車「清流しまんと号」らしい。

普段はここにしまっとるんやねぇ。face06



宇和島鉄道は、広見川を渡らず吉野駅が終点だった。


⑦の位置にも橋脚があるというので探したのですが、草に覆われて判りませんでした。
きっと冬場なら判るかも。



この線路の手前の




このあたりが怪しい・・・face06




さて⑧の場所に移動します。



吉野橋  このあたりに旧鉄道の橋脚が残っているらしい。




国道と交差するように小川が




これだ!face08





自然石を練りこんである。  大正時代に作られたもの 



宇和島方面  あのお地蔵さんのあたりを通っていたはず。 (岩の向こうが橋脚)




吉野方面  人家になっている。




川は国道の下を抜けて広見川に合流





上流は溜池になっていた。

写真を見て家内が
「やっぱり雨が降らんけん、池の水が少ないね」
と言うので
「それはいけない
と言ったら、軽く流されてしまいました。face10




川は時代が変わっても、その方向を変えることはあまりないので、古い構造物がそのまま残ることが多いのだろう。



宇和島鉄道及び愛媛鉄道に関わる鉄道遺産



以下余談


宇和島市長を辞任した山村豊次郎は堀部彦次郎が亡くなった昭和5年に3代目社長に就任しました。
四国循環鉄道を完成させるには、私鉄宇和島鉄道を国鉄に買い取らせることが一番の早道と考えた彼はそれを実現するために衆議院議員に立候補して当選しました。もちろん鉄道の事だけがその理由ではありませんでした。
後日書きたいと思いますが、九島村の宇和島市合併とそれにより宇和島市となる日振新田への近江帆布誘致にも大いに活躍して宇和島市への最後の貢献をすることになります。
宇和島市発展の最功労者と言われる彼の晩年は選挙違反により夫人とともに逮捕され有罪、政界からの引退と弁護士の廃業など決して恵まれたものではありませんでした。そのわずか後の13年に夫人と前後して亡くなりました。彼の半生を見ていると小泉前首相がいみじくも言ったように「政治家は使い捨ての覚悟がなければならない」と言ったのを思い出しました。
和霊公園に建立された頒功碑だけが彼の偉大な功績を偲ぶよすがとして現在も立っています。

山村豊次郎の葬儀は、市葬の礼を以って宇和島商業学校にて執り行われました。
商業学校の丸島清校長は、彼が商業学校を乙種から甲種に昇格させる時に、人を介し三顧の礼を以って県外より招聘した人です。
丸島と言う宇和島市には珍しい苗字を聞いてかつて和霊町で開業していた丸島医院を思い浮かべる方もおられると思いますが、その院長は丸島清校長のご子息です。
ご子息院長は山村豊次郎傳に「山村氏が市長の職を去った時、或は又宿痾のためこの世を去られた時、最も悲しんだ者の一人に父が数えられる」と述べておられます。





  

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2008年08月14日

松丸街道レトロな旅 少女と共に




森の国の夏祭りがある日に、少女(長女)とともに再び「JR松丸駅」の足湯に行きました。



駐車場から直接入ることができる。




わりとレトロ好きな少女







なぜか、こんな所に小学校の椅子が! レトロだなぁface08






座ってい~すか?face06







ホームに汽車が着いた。 山越え谷越え遥々行くのだろう。



きしゃの~まどか~ら~ハンケチふればぁ~まきばのをとめ~がはなたばなげた~~♪





足湯は健康に良い。温度もちょうどいい感じだ。

これを毎日やれば


血行促進 免疫力増強 さらに風邪にも効果がある。

故に肩こり、腰痛などにも効果が期待できる。


「なんだ、もうまーきみ。なんていらないじゃん。」


なんて言ってる〇〇はどこのどいつだぁぁっぁぁい!ヾ(`◇´)ノ彡☆


足湯

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 




今日は花火大会なので、橋の上でも準備している。




階下の待合室には、子供が書いたと思われる短冊と鈴?の招き猫が多数展示してある。




こんな風に吊るすのかな?




今日こそ駅前の「トミー」に入る。

http://user.shikoku.ne.jp/inakaune/



店内はこうなってんないicon04






オーダーは


少女:カルボナーラ(約800円)





まーきみ。:お好み焼き(ほぼ800円)


どちらも絶品でした!


いずれも宇和島本舗ブロガー某社長のツケが利きます!(嘘)face03






こんな本を見つけた。face08


そういえば、山上に看板が出ていたな。


愛媛で最大規模の城があったらしい。国の重要文化財に指定されるまでは「目黒山形模型」と同様、地元関係者のご努力があったのだろう。

「重要文化財にしてね♪」「いいとも!」と簡単には行かないのがこの世界。

異を唱える学者との葛藤など、色々な苦労があったようだ。

近く上ってみたい。

河後森城跡







松丸の町並み




閉店したパチンコホール かつてこの規模の店が繁盛してた時代なら気軽に遊べたのだろう。

宇和島にも「たまや」と言う小さなホールがあったな。

その前に芝不器男の記念館の看板が


(クリックしたら大きくなります)
中々の名文だ。しかし昔は東大から東北大学に簡単に転入できたんだ。face08松野町となっているが昭和30年までは松丸町だった





芝不器男記念館







突き当たりにあるのが、正木酒造所 時折、ここの蔵でコンサートがあるらしい。




歴史のある看板

歴史のある看板と言えば



出目で見つけた看板 かつては日本中どんな田舎に行ってもあった。
これは後期の看板らしい。

出目と言えば花がきれいな町か? (出目菖蒲か杜若) 



松丸街道  重厚な古い建物  選挙が近いのか、最近政治家のポスターが頓に増えた。





雨が降ってきたicon03




松丸駅に雨宿り




ぽっぽ温泉玄関 jam・・じゃなかった、少女を探せ!




芝不器男の句碑
汽車見えてやがて失せたる田打かな


虹の森公園では、お祭りの準備が進んでいた。


  

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2008年08月10日

宇和島鉄道の遺跡 3 松丸駅

松野町松丸へ


70代の男性と、宇和島鉄道の事を話していた時、その方が思い出したように言いました。

そういえば、子供の頃宇和島鉄道に乗って吉野へ行ったことがある。

汽車の脇に、もう一線線路があった。

その事を後年友達に話したら

予讃線でも単線やのに、なんで宇和島鉄道が複線なはずあるかい!と言われ自分の勘違いかな?と思ったが

今考えると、それが新しい線路の付け替え工事やったのかもしれん。





虹の森公園の対岸








松丸駅の2回は「ぽっぽ温泉」




駅の正面 ふれあい交流館 中も外も風鈴でいっぱい





ホームから構内ー駅前を撮影






前に進んで正面玄関から駅前を






交差点 宇和島自動車の看板がレトロな雰囲気を




issyoo社長のお薦め喫茶店 入ろうと思ったら仕事の電話が・・残念face10





一転してプラットホーム このホームに宇和島鉄道の名残があるらしい。






この仕切りが、新旧のプラットホームの境目なのだろうか?


駅の職員さんに聞いてみました。

私と同年輩の女性の方

「すませ~ん。ここに、宇和島鉄道のホームの跡があるって聞いてきたんですけど」


「???何時くらいですか???」


「たぶん、大正時代だと思うんですけど・・」


「・・・覚えてないなぁ・・・」


覚えとる人は、きっと80代以上だろう・・・face07




そう思いつつ、ホームを歩いていると




ふと見上げると足湯が ホームから出入りできる。face08

しかも・・・・


無料(TADA!)face05


これはもう、


温泉の試食コーナー


と言っても過言ではない!





あがってみた。 ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌( ̄ー ̄)┘



入ってみた。  ( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ






足湯から、虹の森公園が見える。face05







ぽっぽ温泉併設で新装なった、古い歴史を持つ駅 




宇和島鉄道の歴史


私鉄宇和島鉄道の経営は順風満帆とは言えませんでした。

初代社長の井上角太郎は広島の人でしたが将来の経営難を悲観し社長を辞任し代わって宇和島運輸の堀部彦次郎が二代目社長に就任しました。
大正12年、彼は直ちに資本金を70万円に増額、駅を現在地に移し路線を近永から吉野へ延長しました。
松丸駅が出来たのはその年の12月12日の事でした。





セイコウさんのお母様の話だと、線路がもうひとつあったそうな。
写真右側の構造物はその名残なのだろうか?それにしては新しい気がする?  

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2008年08月08日

宇和島鉄道の遺跡 2 窓峠隧道

私鉄宇和島鉄道は大正3年に宇和島ー近永間を開通、同12年に吉野駅まで延長、昭和8年に国鉄に買収されるまで続きました。

そして10年までに軽便鉄道だった軌道が、国鉄の基準である1067mmに順次付け替えられました。


現在の予土線の線路は、概ね宇和島鉄道に沿って付け替えられましたが、大きく違うのは務田駅手前の「窓峠隧道」と吉野駅が国鉄になってからは川を越えた吉野生駅になったことです。


窓峠(まどのとう)隧道の宇和島側は現存思しますがごみが大量に捨てられていると言うことなので行きませんでした。

南予最古のトンネルなのに残念なことです。




反対の務田地区



三間ー吉田線の県道、務田公民館のある手前県道から山の方へ入った。


余談だが

高校の汽車通学の時、北宇和島駅で停車中、ホームの案内板を見ると


次の駅は


むでん
たかみつ


と、書いてあったので、


「次の駅の高光は、電気が付かないんやろー、そういえば無人駅やし。無人で無電なんやな~」


と、本気で思っていた。


(人に言わないで、ホント良かったわい)face06


そんあことってあるだろう君たちだって

俺ってみんなと同じ、アワテンボなのかな~俺~♪


(吉田拓郎 俺 青春の詩収録)






あの突き当たりにトンネルの入り口があったのか




広場になってる。




記念碑 右側の「人工奪天険」はかつて隧道の宇和島側にあった扁額




栗林がある。

ここは栗林公園か?



宇和島鉄道及び愛媛鉄道に関わる鉄道遺産 1




電話架設も上水道整備も宇和島が県下に先駆けて実施しましたが、四国に循環鉄道をと言う運動は、北宇和郡から始まりました。

彼らは県庁の技師を同伴し、東は予讃境の宇摩郡から南は宇和島を経て土讃境まで草履履きに手弁当、難行苦行を持って草深い山谷を走破しました。明治33年頃の事でした。

「四国の国鉄は北宇和郡から」と言われる所以です。

現代人は誰も知らないこの大プロジェクトに挑んだのは次の方々


井谷正命    日吉村

今西幹一郎   好藤村(広見町)

岡本景光    三間村 
 
山村豊次郎   宇和島町

玉井卓一    愛治村(広見町)

国松磊奇智   高近村(津島町)

赤松泰苞    畑地村(津島町)

北宇和郡の総意として総距離120里 1里2万円として300万円の予算内で完成できると目算して鉄道院に陳情、その後、数年を経て鉄道院総裁の視察などもありましたが一向に南予に鉄道敷設の具現化は見えませんでした。

山村豊次郎傳には当時の状況を「百年河清を待つ」と表現しており、「せめて私鉄でも」と宇和島ー近永間の軽便鉄道の建設を計画しましたが、資本金40万円は北宇和郡だけでは到底集まらず、地元出身の手づるを頼りに東京、大阪の一流財界人から資本を集めることに成功ここに「宇和島鉄道株式会社」を創立することが出来ました。

起工は大正元年の事でした。



  

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2008年08月06日

宇和島鉄道の遺跡 1 光満駅付近


予土線 中屋敷あたりの鉄橋 手前の橋は枕木のように見える。


近くのお年寄りに聞いた話では、この鉄橋は宇和島鉄道から国鉄になって線路を付け替える時に、従前のカーブをより緩くするように付け替えたそうです。

それでも、戦後延長した吉野生から高知方面に比べれば全体的にカーブがきつく、スピードが出せないそうです。





橋が腐って、川が見えているface08




以前は家があったのか? 赤いポストが往時を物語る。




それから1キロあまり宇和島より「日ノ組」あたり





梅林口バス停から 前方軽トラの右手あたりに「上満満」「平駄場」に行く入り口がある。



平駄場は「たこ焼き なっちゃん」に詳しく紹介されていますが、景色のきれいなのどかな所です。(まだ未踏)

駄場とは、有史以前に「明らかに人工的に切り開いたと思われる場所」と言う意味の言わば「遺跡」です。


近所で有名な所では大野ヶ原の源氏ヶ駄場、足摺岬の唐人駄場などがあります。


足摺岬 唐人駄場




全国的にもっと有名なのは・・・



これは?face08











ワレワレハバルタンセイジンダバダバダ






こんな所まで来て・・・face07





さて、気を取り直して本題です。






①のあたり。


予土線の橋梁  その手前に旧宇和島鉄道の橋梁の跡がある。





2本の軌道ががはっきり残っている。








たまたま通りがかった人が、戦前新しい線路を敷く工事を見ていたと話してくれました。








道があったので上に登ってみる


はっきりした位置は不明だが、この前方付近に宇和島鉄道の「光満駅」があったと聞いた。




上り方面  この右側に旧宇和島鉄道の路線があった。(見取り図、青線)

今は樹木が生い茂っているが



路線の跡と思われる地形が残っている。





まさに大正時代の遺跡だ。 






反対側(国道より)から





国道側に戻る  川沿いに植えられているのはモンキーバナナの木か?face08


見取り図②の橋



「いつみはし」かと思ったら、

「泉橋」だった  昭和11年建立




橋の記念碑  昔は地元の寄付で建設されていた。 このような碑が市内各所に見られる。
当時の公共心が、如何に強かったかと言う表れだ。



見取り図③



こちらの記念碑の方が古そうだが、左横書き表記なので新しいはず。





先ほどの方が、色々お話してくれる。


前の橋に立つと上流から冷たい風が吹くらしい




あれ?この川、トンネルを抜けている?


しかも、草に覆われて見えにくいがこのトンネル、「旧窓峠隧道」と同じようなレンガ作りだface08






判りますか??




おじさんの話だと、ここ一体は元々の山ではなく、鉄道を通すために土を盛って川を流すためにトンネルを付けたらしい。
(見取り図参照 茶色の囲いが土盛りの想像図)




この川は、橋を通り過ぎてすぐに光満川と合流する。




橋に歴史あり




大正時代に建設された南予の私鉄軽便鉄道は、宇和島鉄道だけでなく愛媛鉄道と言う「大洲ー長浜ー内子」線もあった。
愛媛鉄道が現在の予讃線(長浜周り)になった。
いずれも軽便鉄道から国鉄の規格に路線を敷き替えたことから、随所に遺跡が残っているものと思われる。




ちなみに、高串駅は ↓ この辺りにあったと思われる(まーきみ。推定)




青○は現在の「北宇和島駅」


光満駅と共に、昭和16年に廃止された。

  

Posted by まーきみ。 at 07:06Comments(8)TrackBack(0)名所旧跡

2008年08月03日

長洲 2


長洲園地の池に




ハスの花が咲いていた。

見てるのはトンボだけ




ヤンマと赤とんぼ







飛んでるので、うまく写せませんでしたface10



再び長洲川に戻る




長洲川 石鎚橋  一週間前の写真
まだ、川の流れがあった



一週間後






川が枯れていた。face08

梅雨が終わり、田植えで水が必要な時期だからか?



少し下流では流れが復活している。









②の地区に行く



この土塁は何だろう?




井戸発見face08




かなり深い。 井戸って意外と危険だ。face10


いどーします。face06






上流も枯れている。





③の地区へ





この橋は!電柱?face08

水の流れも復活している。





案山子





シオカラトンボがあちこちに。





これはイノシシ除けの電流を流す線か




広範囲に張り巡らされている。

なんでも補助の対象になるとか




あれ?


あの地形は?




あやしい!face06

山間に土手と脇に小川


これはもう




やはり溜池だ。





松の木が水面に沿って伸びている?face08




その上部にも水田がある。




水面に波紋が!

写真には写らなかったが大きな鯉がいた。



雑木林の中の道 のどかな事この上ない。




渓流でよく見かける 動きのゆったりしたトンボ

こいつを捕まえてはいけないと教えられた。










  
タグ :長洲溜池

Posted by まーきみ。 at 07:17Comments(5)TrackBack(0)名所旧跡

2008年08月01日

HA~MA~YOU?と鯨


夕暮れ時の「はま湯」


松山市に秋山兄弟や正岡子規を主人公にした司馬遼太郎の小説をテーマにした「坂の上の雲ミュージアム」ができましたね。

皆さんは行かれましたか?


秋山兄弟の弟、真之と言えば、日本海会戦の時、ロシア艦隊を発見した事を大本営に知らせるために打電した文章が後に彼を有名にしました。


それは



敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ








聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃沈滅セントス。








本日天気晴朗ナレドモ












ちょっと、難しかったかなぁ・・・







思いっきり滑ると、却って気分が爽快になりませんか?





そうかい?なんて




ボケ&ツッコミを入れて、この静けさを救ってください。お願いします。face07



今日は明浜の「はま湯」に行って来ました。



そのために、上記の店の前を通ったらふと思いついたものですから・・・face03





夕焼けとモノラック(明浜町)






今年はもう、スプリンクラーによる灌水が始まっている。


これをしないとみかん作りが完遂しない。(さらり)face06



日照の時は大いに助かる電子制御による灌水システムも、経費も掛り、一度契約すると簡単に脱会出来ないので、後継者の決まっていない農家では中々導入できないと、高齢者の農家の方が言っておられました。


素人にはわからない、難しい問題があるんやねぇ。face09




温泉に近付くにつれ、夕日の色が濃くなってきた。





はま湯を通り越し、






湾を越えると





鯨塚が見える。




夕日を受けて
天保の大飢饉で苦しんでいた村民を飢餓から救ったくじら様の塚。
全国の鯨塚でもっとも有名な塚の一つ。
揮毫は宇和島藩主、伊達 宗紀(だて むねただ)
天赦園を作った殿様。



しばし、夕日を眺めてはま湯に行くと




なんと!今日は河童の日!face08



実は、今日出かけに予感がして





以前もらった「河童ウチワ」を持参!face05



おかげで割引料金で入れました!


よきかなよきかな



入浴後、ゆっくりアイスを食べながらコーラを飲む。




「お稲クラフト作品展」開催中

いいねぇ~~face05


  

Posted by まーきみ。 at 10:20Comments(8)TrackBack(0)名所旧跡

2008年07月30日

長洲園地



長洲園地は、旧御荘町の国道から、1キロ足らずの山添にある自然豊かな庭園です。

2年前まで、仕事でよく行っていました。

今日は電話で久々に仕事の依頼があったので是非ここを見たいと思って楽しみにして出かけました。




が長洲園地  が国道56号線との交差点(案内看板あり)
戦前は国道付近まで、海岸線が迫っていたと言う。




の橋から撮影


上流方面 背割堤で分かれる川 左が長洲川本流で、右が長洲園地から流れてくる支流です。





下流(国道)方面  左右の山の間に細長く川原があったので「長洲」と名付けたのだろう。




から


車の前方の細長い道が長洲園地へ行く道



車より左方 長洲川本流方面 






見えてきた。




桜のシーズンには大変賑わいます。(水洗トイレあり)




東屋から





なんとなく、アンバランスと思われるモニュメントだ。





川は園地の池を経由して、冒頭の背割堤で長洲川に合流します。




さて、顧客様の家に到着 ここも田園の中です。


この車も、和霊さまのお祭り後には新車に替わる予定です。





さて、仕事の準備




その後、今日も鹿島の見える町へ移動です。


暑い一日はまだまだ続く。
7月22日撮影





  

Posted by まーきみ。 at 08:51Comments(6)TrackBack(0)名所旧跡

2008年07月28日

内泊の鯨塚


美しい海辺が続く、旧西海町西浦地区内泊





小学校も海辺にあります。




愛南町立西浦小学校





先生がグラウンド整備をしていた。(5月撮影)







入り口の県道沿いに「飛揚鯨の塚」がありました。





海難事故の慰霊碑の右側





塚は二基 
右は「鯨飛揚之塚」
左は「鯨之塚」




写真では良く見えないが明治15年とある。



明治庚子(かのえのね)は明治33年になる。

見た目は右のほうが綺麗で新しく見えたが、年代を調べると意外にも18年古い。

左側のほうが苔むして古く見えるのは、右の石が花崗岩で、左が砂岩だから。


今まで古い石碑を色々見てきたが、花崗岩は少なかった。


石の専門家で無いので詳しい事が分からないが、この時期花崗岩は珍しかったのではないだろうか?




内泊浦の文字が見える


愛南町のホームページに詳しく書かれている。


鯨塚は鯨墓と言われるように偶然浜に打ちあがった鯨を捕獲し、その供養のために建立されたものと聞く。
鯨が捕れたら七浦潤うと言われたように、ものすごい収入になった事と思われる。
藩政時代は、そのような場合の地元と藩の取り分も決められていたらしい。


このあたりに鯨が来たのだろうか?





それより船越寄りの道路沿いに、こんな石碑が




文字が滲んで判読困難だが、かつてこの地にあった「船越ばなの松」と親しまれた松の木が枯れてその縁に建立された道祖神のようだ。

裏面に5名の有志の名前がある。


森羅万象すべてを敬おうとした人々の気持ちが読み取れる。



取って返して「鹿島渡し」

海開きが終わり、海水浴客が多くなった。






時刻表 渡るだけなら往復で530円







そうかいな。






海水浴客を乗せて鹿島に向かうガイヤナ

今年は行ってみよう。










  

Posted by まーきみ。 at 12:05Comments(7)TrackBack(0)名所旧跡

2008年07月18日

サザンの歌が聞こえる(でもサイレント)

サザンの歌が聞こえる季節になりました。


3の倍数で・・・なんていってる場合ではない。face06










今回は台詞がありません。 音楽を聴きながらスローでご覧ください。




見えない場合は、↓を!
http://www.youtube.com/watch?v=9kKRTSW01tY





























































































































































































































































































































































































































































































































おしまい。  

Posted by まーきみ。 at 01:30Comments(8)TrackBack(0)名所旧跡

2008年07月16日

石垣の町から鹿島の瀬戸


「鹿島の渡」に係留されてるグラスボート


いつも素通りばかりの石垣の里

この日は寄ってみた。





サルがおった!face08


そこからさらに2キロほど進むと<