2008年08月01日

薬師谷のイノシシとそうめん流し


今日、薬師谷のそうめん流しに行って来ました。


すると・・・




カメラマンが何かを写してる?




イノシシの赤ちゃん!face08





しかも慣れている


そうめん流しの方の話では、親にはぐれたウリボウらしい。


そうめんの残りをやってるので、時折山から下りてきている。


近付くと怖がるので気をつけて欲しいという事でした。

また、牙が鋭いので決して手を差し伸べないでくださいとのこと。




日向ぼっこするウリボウ







宇和島市内外から、涼を求めて来る人たち




渓谷では下界の暑さが嘘のようにひんやりしている。





岩戸の滝




滝の中から




子供連れのお客さんも多かったです。



詳しい地図で見る
  

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2008年07月27日

八幡様のイブキ


河原のほとりに立つ八幡様の鳥居



八幡神社々殿前にあるイブキ 国指定天然記念物

このイブキは源義経が植えたと伝えられている。
樹齢約800年 ムササビが居て被害を及ぼすらしい「宇和島の自然と文化」(宇和島文化協会発行)より



一対の狛犬に書かれた文字は


宇和島市制を記念して奉納された。日付は合併成った大正10年(西暦1921年)8月1日

故に今年は市制を敷いて87年

これは試験に出ますよ(何の?)face06


八幡様の氏子は、旧八幡村だけではなく、舟大工町や恵美須町も含まれていた。

戎の字が、戒になってる?face06


この槙本源造という人は宇和島が町制を敷いたときの初代の町会議員の一人

(宇和島の明治大正史)によると

当時は誰も議員になりたいという人は居なかった。できれば御免蒙りたいと思う人ばかりであった。

仕方ないので各々の町内で協議会を開き、適当と思われる人を無理やり担ぎ出す。

従って選挙運動などはする必要は全くなかった。

上記の槙本氏は生涯議員嫌いで通した人で、ある選挙時期に、逃げて旅行に行ったが帰ってきてみるとちゃんと当選していたという挿話が残っている。

当初は無報酬であったが、2代目町長のとき「歳費を払ってはどうか」と提案したとき槙本氏は「議員をやめさせてくれるのなら逆に町に寄付をしても良い」と言い出す始末であったらしい。

それでも彼は、宇和島町と八幡村の合併委員に名を連ねている。

議員は嫌いでも、宇和島市への功績は大なるものがあったのだろう。





境内にある「八万橋」の親柱 いつのものか?







これが現在の八幡橋






須賀川下流  JRの鉄橋の向こうで須賀川は高串川と合流する。




和霊町あたり  小さな川が合流してる。




その川の少し上流の橋 反対側の親が撤去されているので年代が判らないface08



古川橋 味わいのある文字だ。 「は」と「し」の文字を混成している。
「わ」のような曲線のある文字は、描きにくいせいか、変形してる文字が多い。




和霊神社前の川底になにやら?

 
走りこみのときの竹を指す穴か。清掃した後なのでよく見えている。






もっと下流 須賀通りあたり 魚を取る人が



ここは海
造船所のレールが古びている


歴史をたどれば、限のない町宇和島。




  

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2008年07月22日

白&オレンジの恋人たち

ガイヤのアップ一番乗り?



白いグループがやってきた。
紅一点はクッパ大王か?それともキノピオ?(謎)



よーい


スタート!

先は長いぞ!突っ走れ!icon20

明日に向かって!




あ!思わずレッドゾーンを越えた!face08





それは、もう・・・




キミのハートに





ぱっしんぐ・おぶ・さいどらいん! 
だぜーーーー!



単に、「勇み足」・・とも言うface10







マンダリンパイレーツは



愛媛カラーのオレンジ

姫たちが走り抜けた夏を忘れない!


  

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2008年07月13日

和霊様 鳥居周辺

宇和島に帰ってもう一度、和霊さまの写真を撮ろうと思った



城北中学校の「入らずの森」 ここが和霊神社だった時代があったらしい。




日本一の大鳥居



讃州 やはり徳島県か


刻ざまれた文字の所が割れているface08
やはり、元は一枚の石だったのか?

そうしてると、フェンスの外から誰かに肩を叩かれた。

「まーきみ。さん!なんしよらな?」


ドキッface08


友人だったface06


「大介庵に行かんかな?」

「あーちょっと仕事が・・」

「わしがおごるけん!」

「さ!行くかな!!」



明治時代の灯篭



もう、道路の向こうまで行ってる。友人 知らなかったけどこの鳥居の柱にいっぱい名前が彫ってある。face08



友人が待つ。




急いで大介庵へ





あ!「たこやきなっちゃんだ」! 







今日も美味しいたこ焼き食べてる人が。




  

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2008年07月11日

もうすぐ和霊さま

梅雨が明けました。すっかり暑くなったですねー。

暑くなったら和霊様ですね。



この「太鼓橋」の上を大勢の人や神輿が


空襲のことを調べていたら、この橋に焼夷弾の痕があると知りました。

そういえば、宇和島市が空襲に曝されたのはこの時期です。

大分消えかかっているらしい 見つかるかな?

公園側から4段目、下流側の欄干から1mあまり
とか




あれ??



誰かが色をつけていたface08



意外と小さい。10センチくらいか。 

すでに書きましたが、このあたりが空襲にあったのは2度。和霊神社が焼けたのは7月29日





須賀川付け替え前は、ここから左に流れていたらしい。



あの左の角あたりが、かつての川の左岸か。 公園の中を流れて現在の国道あたりに沿って清岡眼科前を流れ市役所前の内港に。



山村豊次郎の功績をたたえた石碑




その右側にある水準点

水準点は
「地盤が強固な山や丘陵地に設置されることが多く、設置場所も道路から少し離れた林や公園の中などに設置され」
とある事から、ここに川が流れていたとは考えにくいので、ここより左側を流れていたのだろう。



このあたりか





日本一の大鳥居





大鳥居の両脇に、八角の台座を見つけた (上流側)


こっちも(下流側)



何個かの石を組み合わせて八角にしたのかと思ったが、どうも割れたようにも見える。(上流)face08



名前が刻んである。



阿州(阿波)下浦邑 武市増助 と読める?

徳島の古文書に名前があった。



この広場で高校時代、2対2でよく野球をしていた。
冬季以外は、朝から晩まで よく体力があったものだ。




その頃はまだ、慰霊碑はなかった。

今日もきれいに掃除をしてくださる人が ご苦労様でございます。face10









  

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2008年07月10日

石碑は語る


最近は宇和島でも珍しくなくなった鵜



やはり、大洲から来たのか?

餌場がなくなって、宇和島に来たのか?


ちゃんと真っ直ぐ来たのか?


それとも、やはり、鵜だけに







迂回して来た?


さて、水辺だけにさらりと流して本題です。icon57





鵜が泳いでいたのは、城北中学校の前の須賀川。

昭和初期の須賀川の付け替え工事の起点がこのあたりだと思って何か痕跡はないかと探していましたが


こんなものを見つけました。




折れた石碑?



桜と書いてある。しかしまだ上に何か文字があったはず?




六百年記念は、上に「皇紀二千・・・」と続くはず。


文字の配列から察するに、桜の上に二字ほど文字があったのでは?



これも上に何か文字が?


昭和15年の 「紀元二千六百年記念行事」は全国的に行なわれていました。
宇和島の各所にこの文字を刻んだ石碑が他にもあるはずです。(丸の内の和霊神社にも有った)





次に愛宕山です。左奥に見える高い石碑



宮城(皇居の事か)を遥かに拝する所か


そして、この塔の裏に



宇和島尋常高等小学校


天満山から撮影 左側が高等小学校 右の広い校庭があるのは宇和島商業学校

これは昭和3年に宇和島市内の高等小学校を一つにまとめた学校で、場所は今の天神町(我々の時代天神小学校があった場所)にありました。
宇和島市誌に「昭和3年 全市小学校の高等科を統合して、宇和島尋常高等小学校とし、これを第三小学校に併置した」とあります。
第三小学校はこの年より「宇和島尋常高等小学校」と名を改め、他は「尋常小学校」となりました。
昭和12年「宇和島高等小学校」 16年の「国民学校令」で中央国民学校と改称します。

昭和20年7月29日の空襲で焼失。戦後予科練の仮校舎でしばらく授業を続け、23年学制改革により「城南中学校」「城北中学校」の二つに分かれます。



この石碑は旧制の高等小学校の唯一の名残かもしれません。





愛宕公園の桜は、宇和島市長山村豊次郎の兄で村松 恒一郎と言う人が「明治39年には戦争に対する功労の故をもって,政府から金三百円を下賜された。その金で,恒一郎は郷里愛宕公園に桜を植え,第2次大戦まで市民を楽しませた」
たむやむ 人名事典 村松 恒一郎より引用)
と、あります。

今の桜が総て、その時の桜なのかどうか、また当時の桜が残っているかどうか分かりません。
「宇和島の明治大正史」によると、今の桜は2代目だそうです。第二次大戦中芋畑として開墾しました。


愛宕公園の中腹にある芭蕉の句碑 


明治丁未(ひのと ひつじ)とあります。調べてみると明治40年でした。


桜を植えた公園整備事業の一環として建立した碑でしょうか。

全くの私見ですが、村松が対露強硬派であった事や尋常高等小学校教職員の石碑から「天皇を敬い、国威を高揚する」と言う意義があったのでしょうか。



他の石碑にもそんな感じがする。


最近亡くなった坂村真民氏の有名な言葉 宇和島東高校でも教鞭を取ったらしい。


その右脇にある趣意書 ここにも皇紀を示す文字が。


先日読んだ津村寿夫氏の「宇和島の明治大正史」にも日露戦争の勝利を祝って宇和津彦神社の上に作られた公園と書いてあったような記憶がある。


しかし、調べれば調べるほど、歴史って不思議だなぁ。



かつて頂上広場にあった「天狗杉」伊達秀宗が京都の愛宕山から苗を持ち帰り植えたものだと言う伝説がある。

公園化は日露戦争の祝勝記念に北宇和郡医師会長小高元等が発起し、氏子の協力を得て造営したとある。

津村寿夫著「宇和島の明治大正史」
  

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2008年07月07日

野川の森林鉄道跡

ネットで偶然見つけた「滑床森林鉄道」の名残と思われる線路を使った橋が野川の旧営林署跡地にあるというので、探しに行きました。

野川は狭隘な道が山中まで続き、決して車が通行しやすい道ではありませんが、昔仕事で毎日通っていたと言う経験から、割りと馴染みがあったので気軽に行く事ができました。


現場の入り口です。

右手の荒地は、十年ほど前は綺麗な畑でした。足の悪いおじいさんが耕していました。
出会った頃は自転車で上がってきていましたが、それも危なくなると息子さんと思われる方に車で連れてきてもらっていました。
畑の中を這いながら草を取っておられたのを印象深く思い出しました。
畑に対する愛着の強さは、農業をしたことのない我々には想像ができないものなのでしょう。




この小川は辰ノ川の名もない支流の一つでしょう。この上流に件の橋があるはず。



国有財産売り払い地 やはりこの上流付近か?



この上流らしいが、草が生い茂っている。 

もうあきらめて帰ろうか?と思ったら上で人の気配がface08





擁壁のヘリを滑りながら・・長靴を履いて来てよかったface10

後で分かりますが、この手すりの左側、1mほどに小川があります。

草深い夏場は、知らずに歩くと、大変危険です。icon05



人がおったface08



萱(カヤ)を刈っておるんかや?face06


この写真よく見ると、線路がface08


ここが探してた橋だ!


おじさんに森林鉄道の事を聞いたら知っていました。いつ頃まで?と聞いたら

「50年くらい前までや、なかろうか?」


「昔のものは、なんもかも無くなってしまいよらい」と述懐しておられました。





このように、線路を何本も渡しています。



脇には欄干も





橋の向こう側の駄馬 ここに伐採した木材を運んできたのか。

だとしたら、これから滑床にかけて鉄道の跡があるかもしれない。




知らなかったら見逃してしまいそうな線路の橋



長い年月の風雨にも耐えている。 そしてそれがそのまま「歴史」になる。


すっかり近代的な宅地になって往時の面影は無い。


時間は常に動いていると言う事か。



  

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2008年06月30日

オレンジロード 夏物語

オレンジロード 花壇の花の植え替えが始まりました。





天気が心配されましたが、運よくこの日は晴れでした。



これから植える、たくさんの花の苗 


数にして800~900くらいか?

補導ボランティアや町内、公民館関係者と、大勢の人に集まって貰いましたので、順調に進みました。


椅子に座ってる人は、交通量調査の人らしい。



鍬で畝を作り



色や花の種類に分けて植えて行きます。



みんなで植えると、早い早い川崎源八face08



木の周りにも、プランターを並べて



外周にも植えて、出来上がりです。



場所は、駅前通りの旧ロータリーです。


皆さん、是非見てくださいね。



梅雨時になんですが・・水をまきます。

案の定、次の日は雨でした。残念!face10



最後に掃除と後片付けで無事終了。


花を愛でてくれた人には、花の妖精たちから「優しいハートicon06」のプレゼントがありますよ。face02

シャイなアナタ

「照れるぜ・・よーせぃよぉ」

なんて言わないで!




  

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2008年06月23日

住吉山の三角点

小学校の時、遠足で行った住吉山に登りました。

実に40年ぶり? 

上り口に行く途中に、石碑発見face08


築地の花街を作ったときの記念碑


コーラルホテルの駐車場前に

須賀川付け替えのお話は、また後日に譲るとして登山道に向かいます。



コーラルホテルから宇和島市立歴史資料館、宇和島徳洲会病院に向かう途中にあります。



上り口から歴史資料館を見る。




鬱蒼とした林が続きます。 



石垣がありました。 これが住吉神社の境内の跡か?face08


石に文字が彫ってある。(サムネイル)

寛政七 乙卯 9月吉日 (グレゴリオ暦1795年10月中~)
日本史では、松平定信が失脚し大黒屋光太夫が帰国した直後あたり。

そのあたりの時代に、出来た神社なのか?住吉山とか住吉町とか名前は知ってるけど神社のいわれは全然知らんface10



周りの石積み



崩れているface08
貴重な遺跡が・・




さて、頂上です。 宇和島で一番低い山か



ソメイヨシノが数本ありました。どれかがかつての「標準木」だったのか?



建物はもう跡形もない。測候所だけに・・・(以下略)face06



名札の付いた樹木が残るだけの公園


広場の奥、左手に小道がface08



これは中から見たところ

進んでいくと前方に


三角点の標識があった!face08


三角点を探せ!三角になってるのが目印だ!(うそ)face06



草をかき分けるとありました!

三角点なのに四角だ?なんて言ってるヤツはどこのどいつだぁぁっぁ~い!face06


大切な物なので、無闇に触ってはいけませぬ!

点名 住吉山
等級 4等三角点
基準点コード  4932647401


 

周りに数箇所、観測点が見通せるように樹木を伐採したと思われる跡がありました。


住吉神社のいわれを、調べてみたいと思いました。


おまけ


験潮場 もう一つの気象庁の施設は、こんなところにありました。  

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2008年06月17日

別府航路の跡



今は使われていない宇和島運輸の待合室の裏に、残っている案内板。

今、誰のために此処に立っているのか?


ここから車を搭載していた。



もう、ここが稼動することは無いのだろうか




験潮場も以前は、大浦にあった。



この灯台も、昔は対岸にあったような



昭和35年頃 小林旭がギターを弾いている。






この女優は?






ここに




松根東洋城の句碑があります。




貝寄や あこやはいづこ うつせ貝

この句碑は元、坂下津の県立水産試験場(現・水産高校学生寮)にあった。宇和島真珠養殖組合の要請で建立された。
没前年(1964年)のもの。



  

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2008年06月16日

お台場

宇和島藩には3つの砲台があった。

一つ目、久良砲台(愛南町)





二つ目、樺崎砲台(築地)



そして、もう一つが小説や歴史書などには記載され、図面も残っているのですが長い間場所が特定されずに「幻の砲台」だったうちの裏山の砲台について、「お台場」「玉蔵」と言う地名が語り継がれている場所がある事を知りました。
50年程前には穴を掘っていて砲弾と思われる鉄の玉を数個掘り出し、子供達が転がして遊んでいた。。。と言う話も聞きました。

歴史を研究してる人たちと一緒に地権者に案内してもらいました。



赤松遊園地から見た所




大浦から



現場です。



対岸樺崎に近いところ



この小道も、当時に作った物か?face08



周りを探索



お台場と呼ばれていたところ。



この前方に



他の畑とは明らかに大きな石を使った壁があった。



これは別の場所



下から




しかも、その段のさらに・・



下は・・・



草をなぎ払ったら、吸い込まれるような絶壁 7~8mはあろうか・・落ちたら大変!足がすくむface08

いわゆる土木の石積みの三分勾配より急傾斜に見えた法面。 人工的に作ったに違いないが農地のためならこんな危険な崖は作らないだろう。

やはり、「お台場」風設計か?敵に対する備えとか、戦略的な理由があるのか?

そういえば、樺崎のお台場も、周りは堀があった。敵が攻め寄せてきた時の備えがあるのは当然と言えば当然だろう。

だとしたら、こんな身近に戦場があった?生まれ故郷に軍事施設があったとしたら驚きであり、歴史の息吹を生々しく感じてしまうのは私だけだろうか?


この露出した自然石は悠久の時間の中で総てを見てきたのだろう。


明治初期に、宇和島藩士によって作られた図面 頓所や井戸も記されている。


射程方向は、樺崎方面より北、赤松~大浦あたりに見える。


追記
宇和島市誌によれば
明治28年に避病舎(伝染病隔離施設)を九島村の内、坂下津長衛門谷旧火薬庫跡に建築したとある。
長衛門谷の場所はスイミングスクール裏の山の麓~宇和島道路バイパス坂下津トンネル付近までを言う。



伊達温泉敷地内にある、これは旧海軍航空隊の火薬庫 避病舎はもっと北方だったらしい。(サンワの裏あたりか)

その火薬庫が戎山砲台のために作られた火薬庫だったのだろうか?


全然オマケ


  

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2008年06月12日

お堀の水は、しょっぱいか?

セイコウさんから借りた、天保時代の宇和島の見取り図




トレースしていますが、未だ途中



お城山西部 



お城山東部





赤の十字は合印(あいじるし・・愛食さるじるしの略ではない)

2枚の図面を合わす為に2箇所、離して入れました。



合印を合わせた所



未だ未完成。お恥ずかしいface07


根をつめてやってたら、肩が凝って休んでいます。

あ!肩が凝ったのは仕事のし過ぎという説も!(極一部に)face10



字が汚くてスンマセン

最近知った事(聞いたこと)

宇和島城のお堀は、海水を引いて、と本に書いてありますが明治初期に撮った写真では大手門(現、メガネのミキあたり)や豊後橋(現、松林眼科付近)には蓮が群生していました。

標高が一番高いのは大手門あたりか?護国神社近くの1等水準点から概算すると7~8m近くはあったのではないでしょうか?
天赦園から北側(城南中学校あたり)には鶴池と言って鶴がたくさん生息していた沼地があったそうです。もしやそれが「鶴島城」の由来か?(鶴の剥製は天赦園に現存する・・とオジさんが言うとられましたですけん)

故に海水であったのは、内港あたりを中心とした東西で、標高が高いところは湧き水だったのではないでしょうか?
三浦屋人形店が経営してた「いずみサウナ」も地下水でした(井戸は現在もある)ように、あのあたりは地下水が豊富なところです。サブライムあたりには「純友」と言う酒を作ってた造り酒屋もあったし。
日ノ本焼酎を生んだ「日本酒類」あたりもまた美味しい水に恵まれていたのでしょう。

汽水域はどのあたりで、どんな植生物が存在していたのか今となっては知る由もありません。

以上はほとんど聞いた話や資料からの想像ですが、「堀の水が全部海水ではなかった」のかな?


セイコウさん、来週早々にはお返しに上がります。face10

  

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2008年06月03日

THE IMOTUBO

さて、ここでお約束の問題です!

子供の頃、オイタをしてママから

「そんなワルい子は〇〇〇〇に入れます!」

と叱られて

「くらいよ~せまいよ~こわいよ~」(面堂 終太郎風)

と、泣きじゃくる。場所は?



スタンダードなところでは、「押し入れ」



ところが最近、私より一回りも若い女性から違った風習があるのを聞いた。

それは

「イモツボ(芋壷)」 






↑これではない






これだ!

最近取り壊した、築100年くらいの民家。

実際に入れられた子供がいたかどうかは別にして、それをいわれた子供は震え上がったらしい。

芋が主食だった時代、秋に取り入れた芋を翌年の春くらいまで保存した。

どの家も畳に当たるほど詰め込んだという。


周りより高くして、水の浸入を防ぐ。

それ以降から盆過ぎの芋ができるまでは、切り干し芋を使った「かんころめし」や芋の粉を使った「芋の餅」に替わる。



左が切干、右が芋の粉(乙亥の里で購入)


戦後に建てられた家はイモツボはほとんど見られないと思います。


  
タグ :芋つぼ

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2008年05月10日

板島橋物語5 宇和島市立歴史資料館

戦後、旧板島橋は何度か流失したらしい。

実は流失したのは事実らしいが、20年の枕崎台風説、昭和21年の南海道大地震説、さらに地震の前の月に既に流されていたと言う説もある。

邪馬台国だったのは日本のどこか?などと言う遠い昔ではなく僅か半世紀前の宇和島一の大橋(約140m)の崩落の記録がないのは奇異な気がするが、犠牲者もなく、また木橋の流失はそれほど珍しくなかったのであろうか。


昭和22-23年の写真 右岸が仮橋になっている


但し、昭和23年8月、豪雨により予科練跡の仮校舎に通っていた城北中学校の生徒が流され死亡した時の事は正確に残っている。
いずれも流された部分は右岸に限られている。


満潮時の来村川 旧板島橋跡




現在残る旧板島橋の橋脚礎石 予科練跡から水産高方面を見たところ

これは干潮時の来村川の旧板島橋の跡 川の右岸よりの部分が一番深くなっており、船舶はここを通る。

この部分が流れが速く、最も流失しやすい部分だったのであろう。




この川の本流あたりに干潮時に数個の礎石が見える。

本来の橋より上流に広く設置されている。



「新板島橋」から見たところ


これは、旧橋を覚えてる人なら判ると思うが、車が通る時に歩行者が退避できるように「持ち出し」が付いていた。
3箇所はあったと記憶している。
23年の写真には見当たらないので、その後付け足されたと思われる。




水産高から、予科練跡(産業団地)を臨む。



この牡蠣殻のついた塊は、橋の残骸か。

「板島橋・・」によると、こちら側にも親橋が海中に投げ捨てられていると書いてあったが、それらしいものが見当たらない。
最早、埋没してしまったのか。


水中に没していた親柱「板島橋・・」より


ところが、この日訪れた「宇和島市立歴史資料館」





あそこに転がってるものは?



写真では見辛いがたしかに「板島橋」の文字が!

まさか、探していたその日に、見つかるとは何と言う偶然だろう。


職員に聞くと、この博物館が出来てからしばらくして、川底から発見したと誰かが持ってきたらしいが当時の職員はいないので判らないとのことだった。

どこの誰が持って来てくれたのか分からないが、資料がほとんど無い中に、こんな貴重な物に出会えるとは思わなかった。

館長さんからも貴重な話を伺い、他に古い宇和島の地図も見せてもらった。

また、訪問して色々な話を伺いたいと思った。


後記
以前のブログで、旧板島橋の架橋は、近江帆布誘致における、企業側の宇和島市に対する条件の一つであったと述べた。
ところがその後宇和島市歴史博物館の関係者から「近江帆布」が自ら架橋し、その後宇和島市に寄付、移管したという話も聞いた。
前者の根拠になった「板島橋 宇和島の予科練と平和への軌道」を改めて読み返すと特に資料に拠った説ではないようで、企業誘致の慣行上からの推測であるようだ。
故に、架橋に至った経緯は「近江帆布」の誘致には違いないが、実際架橋したのは市側か企業側かはまだ究明していない。




  

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2008年04月25日

自動車道路ができてる

昨日も仕事で南へ!車の中から撮影


工事が進んでいます。寄松地区

壁面にロープでぶら下がり作業を!


忍者部隊月光?



手裏剣山?あの構造物はなんだろう?



橋脚がどんどん建ってる。



法面のりのり♪ 立体交差ができてる。




ここから緩やかに左カーブ、トンネルに進む。



石がたくさん出土している。マニアには水前寺清子の的?


頻繁にここを通っているので、工事の様子がわかります。

しかし、ある日突然に進んでる事があってびっくりします。


  

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2008年04月09日

なんとなく、赤松遊園地

去年の九月に、なんとなくクリスタル・・



じゃなくface07



テレビを見ていたら、こんな風景が写ってた。




海の平和は俺達が守る!




どっかで見た風景やなぁ~~と思ってたら



こんなシルエット、知るえ~~と?face07(すべりすぎ)


大竹伸朗さんと言う宇和島在住の画家が出演してる「情熱大陸」と言う番組だった!

大竹さんは、「寂れた遊園地」がすごく気に入ったモチーフらしい。



「あ、大竹さんや~」と、キミコ



「知っとるんか?」



「坊ちゃん(長男)の同級生のお父さんよ」


へーーーーたまげたface08


わたしの同級生にそんな有名な人が・・・

ハショるなよ、オィ・・・・face07





中学校になって初めて行った遠足は赤松遊園地。

今、中学校から歩け!と言われたら、見返り橋あたりでダウンかも!

その前に、行ったのは小学生の時

高校のおにーさんたちと、戎山から船で覗き岩のあたりで、投錨した。

昔は小型船舶の免許は無く、子供でも普通に操縦できた(たぶん。。)

売店から出てきたおにーさんは皆、手に手にコーラを持っていた。

「ほぃ!まーきみ。の分」

と、私にも200mlの瓶入りコーラを、当時は瓶が主流だった。

おー気が効くじゃん!甘露甘露♪face05

「こーらーicon04、飲むやつがあるか!」

どうも、おにーさん達は飲むためにコーラを買ったのでは無いらしい。

ではどうするか?

「これを体に塗ったらサンオイル替わりになるんよ」

そんな事今してたら大笑いだが、

当時は結構ポピュラーだった。(様な気がするw)


さて、コーラを持った高校生三~四人と、小学生一人は覗き岩に登った。






よくこんな岩に登ったなと、今更ながら不思議に思う






暫し日光浴のあと、おにーさん達は覗き岩から次々と飛び込んだ。

比較的飛込みの得意だったまーきみ。も、この高さからは飛び込む事ができなかった。

大きくなったら再チャレンジしようと思って、とうとう機会がなかった。






この店は、今もやってるんだろうか?





この生簀にはかつて、ウミガメが2匹飼われていた。今は鯛とハマチとスズキ





北川は砂浜になってる。かつてここで撮影した中村晃子という女優の水着写真を見たが、
昔の女優さんってきれいだったな。
注・この写真は女優さんでは有りませんが、それ以上にきれいです。

↑よし!(by kimiko)face01




私たちが中学校になった頃から、ここではあまり泳がなくなりました。


  
タグ :赤松遊園地

Posted by まーきみ。 at 07:57Comments(6)TrackBack(0)宇和島市の紹介(現在)

2008年04月02日

お花見の定番「愛宕公園」

エイプリール・フールで騙された「しょうじき、〇-さん、〇-さん、」の皆様、

やっと「悪夢のような一日」が終りましたね。。。

さー

ポチの鳴く、裏の畑を掘りましょう!





さて、本題です。


「しょうじき、〇-さん」が咲かせたかどうか知りませんが、


愛宕公園の桜が見ごろです。


満開キャディ~~ズだよ~~~ヤマちゃんface05



シズちゃん・・ちょっと違うと思う・・・face07



ここもやはり、小学校の頃に行く「遠足の定番」でした。

堀部公園と同じく、子供の頃はもっと大きかったような気がします。


桜の下を歩くキミコと少女





坂村真民の石碑「念ずれば花開く」


子供の頃はなかったこの石碑は平成になってから出来たようです。真民さんは宇和島東で先生をしてたそうです。






宇和島市街風景


まーきみ。「あの建築中の大きな建物はなんやろ?」

少女   「市立病院やないん?」face07

まーきみ。「・・・・・・・・今のは聞かなかったことに」face06



さて気を取り直して散策です。

・・・・ヘイヘイホォ~~

それは「ヨサク」icon04








あ!ジャミラ発見!




あ!こんなところに芭蕉の句碑があるらしい。

これを見ないとクヒが残る!icon04




この小道を抜けると


しばらくは花の上なる月夜かな


あ!上に少女が!



ブランコに乗る貴婦人

い~のちぃ~みじぃかし~~こいせよ~をとめ~~







メジロもいっぱいいました。

鶯もよい声で鳴いていました。ホーホケキョ
  
タグ :愛宕公園

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2008年03月31日

春の来村川三景

春の来村川の風物詩、しらうお漁


昔はこの河口で、ゴカイをたくさん掘って釣りえさに使っていた。
今は掘る人はいないな。


この網を沈めて、その上を白魚が通るのを待つ。
底引き網が積極の漁法なら、その対極に位置する消極の漁法か






船からだけでなく、桟橋を作っての漁もある。


こちら側のは屋根まで付いている。や~ねぇface04



一度も行った事のない巨大迷路 閉鎖したのはもうずっと昔だ。
ここに放し飼いにしてるって言ってた猛犬はどこに行ったのだろう?



今はもう使っていない揚水場。おそらく須賀川ダムが出来るまで使っていたのではないか?


ここで中学校の頃、亀を捕まえた事があったな。



三島神社の森。前の川で秋祭りの走り込みが行われる。




三島神社前景




春季総代総会の会場。靴が外まであふれてる。

宮司さんの話では、

神殿に上がるのに靴を脱ぐ時は、ぬぎっぱで揃えてはいけないそうだ。

手水を使って手を清めたら尚更 靴を触って手を汚してはならない。

また、退出する時も、神様に後を見せなくて済むから。それが作法だ。


なんと、一般の家庭を訪問する時も同じだそうな。

家の人が客の靴をそろえるのはいいが、上記の理由(家にも神棚があるから)で、やはり後ろを向けてはいけないそうな。

それならば、まーきみ。は幼少の頃から靴をぬぎっぱにしてたが、神の御心に敵っていたのだなface05





総会が終わった後の直来





堀部公園前景 


あ!名画堂だ! 名画どう?



オーガフミヒロ展に行ってきました。

絵に縁のない者には画廊と言うところは入り難いものですが、松野町の水彩画家「木もれ日庵」の省ちゃんが友達なので、あちこち画朗に顔を出すうちに「物知り顔で画廊を徘徊できる」と言う特技を身につけました。face02

もちろん作品の撮影はしませんでしたが、気品とユーモアとウイットに富んだ作品・・と言う風に受け止めました。

サロンなど、お客様が来る場所に飾るには、最適かもしれません。
  

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2008年02月12日

鬼ヶ城に登る。

鬼ヶ城に登ってみました。
途中、水を汲んでるご夫婦にお会いしました。



ここの水は軟水でとても柔らかく、、、じゃなくてとても美味しいそうです。




いやしんぼの私はすぐ飲んでみた。おー歯ざわりが柔らかい!(ほんまかいなface02




と、途中で山口さんに会いました。山口さんと言うのは空手の人なんですけどね(だから、誰なんだよ・・・face07





見晴らしのいいところで写真を撮りました。薄もやが掛かってるみたいではっきりしません。



記念写真も撮りました。恥ずかしいので小さく・・face06

クリックしても無駄ですw





途中で雪が積もっていたので引き返しました。


帰りに子鹿をゲット!icon14icon14





と、言うのはうそです。ごめんなさい・・・これは数年前(夏)の写真。
ただし、「鹿のコル」で何度も鹿を見ました。この時期は黒い色をしていますね。icon97


  

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まーきみ。
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宇和島市で気功と整体の手技を調和させたセラピーをしています。
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