2008年02月29日

頂き物

この写真は、昨日お別れを言いに行った岩崎さんちでもらったもの





ハングル文字が読めないが、イカと野菜のキムチのようだ。

このように、私は「手ぶらで訪問して帰りに何か貰って帰る」と言う特技を持っている。
以前は、みんなそうだろう?と思っていたが、家内に言わせると、どうやら特別な才能らしい。

いや~~照れるなぁ~icon09


でも、私だって気を使う。せめて入れ物だけは・・と車の中には常にレジ袋の余ったのを積んでいます。

それが無くなったら、エコバックにしようと思います。

地球にやさしく、気配りの人まーきみ。icon16icon10


下記はクライアントさんから今週もらったデコポンと文旦です。
 
文旦はキミコの大好物なので3個すべて強制献上、デコポンは『美味しいおいしい』と下記の如く、仲間の整体師さんにも好評でした。私は意外にもデコポンは今回初めて食べました。美味なり、美味なりface05


夕方、岩崎さんが汽車で宇和島を離れました。


入り口の左に立ってた。




最後までお別れは言いませんでした。
また会うつもりでいますから。

  

Posted by まーきみ。 at 18:46Comments(10)TrackBack(0)おいしいもの

2008年02月29日

潜在意識

穴馬さんのブログを拝見してから、潜在意識について考えている。

私は、考え出すと夜も眠れない性格だ。








地下鉄ってどこから入れるんだろう?icon16icon10


私がかつて住んでた名古屋では地下鉄が地上を走る区間がある。
大変納得したが。


さて、本題です。

潜在意識の話1
飛行機や船の大事故があったとき、よく「乗る予定だったがキャンセルして助かった人」の話を聞く。
大きな乗り物に乗って、遠くに行くのはよほどの用事があってのことだし、それをキャンセルするのはさらに大切な用事、つまり優先順位でそれまで一位だった「遠くに行く」を凌ぐという必要がある。
そしてまた、この場合の「優先順位」というのは大いに主観的である。

たとえば、まーきみ。が大事な商用で飛行機に乗ってアメリカあたりに行くとする。
すると、美しい女性から「まーきみさんお茶しましょ♪」と誘われる。

すると大事な商用をほったらかして

「は~~い」

と付いて行くに決まっている。

その飛行機にトラブルがあったりした場合、結果不心得なまーきみ。は無事に済む・・と言う事になる。

この場合、どちらを選択するかが「潜在意識」だと思うのである。


「それは、まーきみ。がスットコドッコイだからだろう!」と言う声が聞こえてきそうだが

言い換えればこの日このときのために「スットコドッコイに生きる」と言う潜在意識が働いた結果としたらどうだろうか?


ゆえに「潜在意識は時空を超えて存在する」と言う考え方。また、あるいは「運命」と言い換えても良い。


潜在意識の話2


さて、ここに一枚の写真がある。(ポラロイド)



これは「結果的に」お見合い写真になった写真である。

(結果的に・・という言葉が意味深だが、私の人生には「結果的に」が多すぎるなface03

場所は大洲市北只今はダイエーになってるがパットゴルフがあった場所だ。
手が後に回ってるのはパターを持っていたせいだと思われる。
季節はそう、5月の連休明けだった。

私はここの副支配人と仲良しだった。
クラブハウスの前で談笑してると、ここの親会社「愛媛舗道」の社員さんが来られた。
この社員さんがたまたまポラドイドカメラを持っていたのだ。

「まーきみ。お見合い写真撮ってやらい」

私は当然本気にしなかった。ただ言われるままにポーズをとった。

そういえば彼がが自分の同級生で紹介したい子が居るとか言ってたが、私はその頃、他のお見合い話があったので。
彼にもそれを伝えていた・・・ハズだった。

彼が私のお見合い話があるというのを知っていたか、聞き流してしまっていたか、今となってはわからないが、彼の中でさっさと話を進めてしまっていたのだった。



ここで「魅力的な女性」について概ね二通り有ると言う話をしなければならない。


icon139幼少の頃から天使のようにかわいく、そのまま大人になった女性。

icon50さなぎが蝶になるように、少しづつ変化しながら美しくなる女性。

今、PCの前でこのブログを読んでくれている女性のほとんどは前者であると思われる。

そして、後年「楊貴妃の再来年」「小野小町二丁目」とその美貌を謳われた妻、シャイニング・キミコは後者であり、まだ当時はさなぎであった。


さて、保険マエフリはとにかく


後日、クラブハウスに行くと、副支配人は公休で代わりに支配人がキミコの写真と手紙を預かっていた。
そして、その写真を人目見たとき、

「え~わし、こんな(女性に対して失礼な表現)いややな~~」

すると、支配人が一言

「おまえ、そがいな事言いよったら、一生結婚できんぞ」

それを聴いた瞬間

「それもそうだ」と思い直した。

支配人は私よりいくらか年上だったが独身だった。’(たしか私が記憶する限り40くらいまでは独身だったはずだ)
結婚生活の経験もない支配人の何気ない一言に、考えを改めたのはなぜだったか?今もわからない。

その後、6月に会ってその月のうちに結婚を決め、挙式したのは秋のことだった。

それまでの流れの中で、「流れを止める」機会はいくらもあったし、ここに書いてないが止めようとした事も何度もあった。
しかし、なぜか流れは本流になってしまった。
結婚については誰も同じような経験をしているのではないだろうか?
そして、その「流れ」をコントロールするものが時空を越えた潜在意識だと思うのである。






  
タグ :潜在意識

Posted by まーきみ。 at 13:27Comments(7)TrackBack(0)気功

2008年02月29日

えんこさま

今日、久々に昔からの知人に会った。
子供さんが受験なので、なにげに「どこ受けた?」と聞いたら

「トーダイ」

うむーーーーどっかで聞いた名前だ・・そこまで出てるのに思い出せないぞ・・と思ってたら更に

「ワセダとケーオーは通ったんやけどねー入学金を納めるのが明日までなんよ・・」

うむーーーキーワードは
ワセダ、ケーオー、か、、、、、


え”

ヒィィィィィ(゚□゚;ノ)ノ

東大ですか!ドラゴン桜のあの東大ですか!face08


す・すると、ワセダは早稲田で、ケーオーは慶応ですか?face08


六大学をすでに半分踏破

そんな恐ろしい事をおみゃーさん、昼間っから、ブログに書けんだらぁ(三河弁)

もうすぐ、東大生の子供を持つ親を知人に持つ、まーきみ。が誕生するかもしれない(何者だ?それは)face07
吉報を待ちましょうface05



さて、下記は私の行く東大・・いあ灯台です。



家が海に近い私は、幼少の頃3回海に転落しました。

2度は親の目の前だったのですぐ助けられましたが、

もう1回は、すぐ近くに誰も居なかったので、数秒アップアップしていました。

岸壁に仮留めしたハシゴに足をかけてハシゴごと海に落ちたのです。

偶然通りかかった人に助けられたんですけどね。
自分的にも危なかったと思いました。


なぜそんな事をしたのか?
実はその少し前、別の場所のハシゴから身を乗り出し、足指で「ニナ」(貝)を挟んで取ってたおねーさんを見たのです。

おねーさんはそのとき得意そうに「ニンポーアシトリの術!」と叫びました。

「ニンポー」なんてステキな響き、そうだ、まーきみ。は「伊賀のフジ丸」だ。同じことをやらなければならない!

で、みつけたのが前記の仮留めハシゴなのでした。

一歩足をかけて、「ニンポー・・」ドボンでした。face10


笑い事ではなく死に掛けましたよホント
死なないで済んだのは、まだ幼くて「溺れた状態が長く続くと死ぬ」と言う事を知らなかった「無知」故でしょうかw

それと、部落で「えんこ様」を祭る祠を作っていたからでしょう。
これができる前は子供の水難事故が後を絶たなかったそうです。なにせ家の前が海なのですから。
車もよく落ちていました。
今は護岸工事のおかげで車が海に落ちる事はなくなりました。先人の努力や知恵のおかげでしょう。

しかし、「神様を祭る」と言う事は少し昔までは、自然な事だったのかもしれません。

生きてて良かった。こうしてブログも書けるしね。face02

 
えんこ様の祠
  

Posted by まーきみ。 at 00:25Comments(4)TrackBack(0)ご近所物語

2008年02月28日

かんころめし

先日、「かんころめし」について触れた。

私が生まれる前に公開された映画「大番」の原作(獅子文六)によると、芋を主食とした南予の農村部では戦中戦後の配給制度の最中の方が却って米を食べる事ができるようになった、と書かれてあるが親父の話だと「芋を作っている農村部には米の配給は無かった」と言う。どちらが本当か検証するのは、なかなか難しい。


映画「大番」の一場面。東京駅に降り立つ赤羽丑之介(加東大介)

宇和島市の農村部では、昭和30年過ぎより芋に替わって麦が主食になった。私が生まれた頃も麦8米2くらいの割りに「ほぼ麦飯」を小学校に上がるくらいまで食べさせられた記憶がある。



戦後しばらく、食事風景はこのようなものだったのだろう。

米100%のご飯を当時「チンチマンマ」と呼んだ。
「チンチ」とは「チンチベベ」(美しい着物)と言うように「美しい」「新しい」と言う意味だろうか。
度々引用して恐縮だが、「ツメメシ」を知ってる穴馬さんなら、あるいは存知かもしれない。

さて、話は変わる。
ずっと昔、津島町の海岸部で原発誘致の調査が行われた事があったらしい。
結局、地盤が軟弱なため建設は実現化されなかったが、この誘致話を巡り現地では親戚さえも二分する「骨肉の争い」が起こったと言う。

数年前にこの頃の事を新聞で読んだ。その中で賛成派の方の述懐が出ていた。
その方はある日、都会からのお客さんを迎え食事に彼としては大奮発して「麦飯」を振舞ったと。
しかしながら、米飯になれた都会のお客さんは結局手を付けなかったと言う。

「わしらもチンチマンマが食べたい!」

彼が賛成に回ったのは実にこの出来事がきっかけとなったと言う。

ここで原発が是か非かという話は別にして

私は彼の心が痛いほど判る。と言えばあるいは傲慢かもしれないが。

私の子供の頃、宇和島農村部の家庭が都会から客を迎える場合、盆正月、祭りの日以外に「白米を食べる」事になっていた。
それは「食のもてなし」でもあるし同時に「貧しい食生活を隠す」意味もあったのではないかと思う。

「チンチマンマ」と言う言葉を聞いただけで目の奥がジーンと熱くなる。
この気持ちは言葉では上手く表現する事ができない。
いわゆる「潜在意識」のなせる業か

ただ、それらがすべて「不幸」であったかと言うとそうではない。
ずっと以前、そのような事に話が及んだ時親父が「今の子らは、お祭りになっても楽しみがないけん、かわいそうなわい」と述懐した事があった。

然りと思う。

年に数度、「チンチマンマ」が食卓を賑わした時の喜びは、これに勝るものは無い。
長じて色々な美味しいものを食べても「チンチマンマ」より美味しいものには出会っていない。おそらく一生出会う事はないだろう。そのような食生活をした私たちの年代は、あるいは最高に幸せな経験をしたのかもしれない。


格差が云々と言われる昨今、却って格差は解消されすぎて、その弊害が出てるだけではないかとふと思うのである。






  

Posted by まーきみ。 at 16:58Comments(5)TrackBack(0)思い出話

2008年02月28日

別離の時

友人が家を引き払い関東に移住すると言うので、お別れを言いに旧御荘町に行って来ました。

途中で寄った須ノ川公園です。
頻繁に通る割にはゆっくり立ち寄る事は久しぶりです。






池のほとりのアヒルに餌をやるまーきみ。
太らせてどうするつもりだ?


久々に春の日差しの中でゆったりと過ごします。
ふと時計を見ると・・






あ!ヒルだ!


( ´-`)チュンチュン


そろそろ行かなくちゃ




あ!ネコが・・・



(自主規制)face07


さて私が今の仕事のために愛南町に行くようになったのは下記の岩崎さんご夫婦との縁からでした。

それまでは縁もゆかりもなく、ただ素通りするだけの町でしたが。

何度も途切れそうになった縁を結べたのは、穴馬さんが言う「潜在意識」が働いたのかもしれません。

地元生まれの岩崎氏が奥さんの実家のある関東に行き、宇和島生まれの私がこの地に留まるのも不思議な縁です。

かつて、地元で町会議員をしていた奥さんの選挙の手伝いで100枚くらいポスターを、地図を片手に息子さんと貼って回ったのも今では懐かしい思い出です。
おかげで城辺から一本松に抜ける旧道とか、深浦から宿毛に通じる風光明媚な海岸線も知る事ができました。





「鮎の塩焼き」を頂きました。

土佐弁では「鮎の塩やきぃ」と伸ばしますicon09


この年になってのお別れは、若いときとは違う感慨があります。
年を取るほど別れが辛い。

だから、お別れは言わずに帰りました。  

Posted by まーきみ。 at 14:11Comments(7)TrackBack(0)思い出話

2008年02月27日

おいしいもの

今日、車のテールランプが球切れしたのか点かなくなったので、

タマタマ寄ったスタンドで、交換しました。


・・・・・・・・

いえ、べつにそんなつもりでは・・。( ´-`)チュンチュン


さて気を取り直して本題です。




↑の写真は昨秋、乙亥の里で買った芋製品?です。
左が「芋の切干」右が「芋の粉」

今回は「芋の粉」の調理例の紹介です。


その名も・・・



「イモノモチ」

         ・

         ・
         ・
な~~んや~そのまんまやんけ~~

と言う指摘もありますが・・

「イモノモチ!」赤字の部分を強く発音するのが、正しい呼び名です。


では、皆さんご一緒に


         イモノモチ

   はい、大変よく出来ました。

   では、充分ご賞味ください。


               

左側の色の薄いのが、蒸したてのもの。時間が経つと右のように黒っぽく変化します。

今日は、上新粉を混ぜているので全体色が薄いですが、芋の粉100%だと、真っ黒になり、しかも弾力がありません。

芋は秋に収穫し、「芋ツボ」*で保存し、4月頃には消費され尽します。

(*芋ツボとは、芋の保存のため、床下に穴を掘り、周りを粘土で塗り固めた壷状のもの,風呂桶よりは3倍は大きい・数年前、愛南町の旧家を解体したら、床に芋ツボが残っていたという話を聞きました)


以後、秋までは、前述の「切干」として保存し、水で戻して炊き上げ、米の無かった時代の夏の「主食」となります。(宇和島地方ではオツメと呼んだ。獅子文六の小説「大番」で紹介された「かんころめし」はこれの事。鍋で煮るとき硬いので、杓文字で強く砕く時、鍋に当たる音がカンコロと聞こえるところからこの名が付いた)


芋の切干を作る



モノクロだと味気なく映る。



前述の「イモノモチ」は「芋尽くし」の食生活を少しでも潤いあるものにと知恵を絞った成果でしょう。

戦前、戦後は配給の砂糖をつけて、それもない時は、餡子の代わりに芋を切ったものを入れたりしたそうです。まさに「芋尽くし」



蒸しあがった香りは、貧しくも平和だったあの時代(昭和30年代)を思い出させてくれました。

これも、滅び行く文化なのでしょうか。

あの、食生活の貧しかった時代が、妙に懐かしく感じるのは年をとったせいか、それともあの時代の方が、本当

の意味で、今よりずっと「豊かな時代」だったのかもしれません。



道の駅で「芋の粉」を見つけたら、あなたも是非味わってみてください。





  

Posted by まーきみ。 at 23:45Comments(6)TrackBack(0)おいしいもの

2008年02月27日

急な仕事

朝、pc見てたら電話が入って明日は仕事になった。19時までに行くと約束した。
以前、うっかり遅くなって「こりゃ、どうも遅れるな」と思ったら国道で事故があって結局その日は行かれなかったのだが顧客さんから「まーきみ。さん、災難だったねぇ」と労わりのお言葉を頂きました。もちろん事故が無くても遅れたであろう事は企業秘密です。

あの時、大浦から黒瀬峠を抜けようとしたら、余計混んでて立ち往生しました。交通整理をしてた方に促され後続の方に「今日はもう1日待っても通れんぜ。Uターンして宇和島に帰らんかな?」と提案し皆さん引き換えして行かれました。
その直後、なぜか前の道路が空いて、提案した私だけ無事通過できました。

あの日、白っぽい服のメタボなおっさんに引き返すように騙された人、ごめんなさ~い。悪気は無かったんですよ~face10

頂上付近で対向車に声をかけられた。

「おっはよぉ~さ~~~ん」

高校時代の恩師だ。



相変わらず能天気な声をface07

しかし、時間に正確である事は、どんな仕事に関わらず重要なわけですが、ある農協職員の方と四方山話をしてて聞いた話ですとかつて「〇〇時、ジャストに来て欲しい」と言われ数分遅れただけで苦情を言われたそうです。
電車じゃあるまいし、あちこち回らなければならない彼らにジャストは難しい。
おそらく顧客さんはJAとJRを混同されたのではないでしょうか?

時間ギリギリに出発すると、どうしてもイライラしがちです。安全のためにも早めのお出かけを心がけましょう。



旧内海村の「アルファ」のスパゲティー。大介うどんのようにでかい。
のんきに食ってると、また遅刻だw
  

Posted by まーきみ。 at 10:15Comments(11)TrackBack(0)整体

2008年02月27日

高校時代のお弁当

言わずと知れたことですが、高校になると給食からお弁当になります。

毎日毎日作らないといけないのは大変ですね。
仕事を抱えてる主婦は特に。

もちろん私の悩みではありません。私の母親の心の声です。

料理の好きなお母さんはそれほどでもないかもですが。。。。

高校に入学して数ヵ月後の事です。

明らかに弁当の中身が寂しくなってきました。
ある日は、「卵焼きにきゅうり」のみの日がありました。
うちが特別貧乏・・と言うわけではありません。
明らかに

手抜き・・・

他のクラスメートと比較したら一目瞭然
「卵にきゅうり」と言うのは、メインがそれで他にキャベツの千切りとプチトマトが・・などではありません。

卵ときゅうりオンリー

さすがのまーきみ。もある日たまらず言いました。

「また今日も卵焼きときゅうり?もっとたとえば、簡単なものでもいいから、コロッケとかウインナーとか、ご飯にふりかけをかけるとか、子持ち昆布とか・・」

と、陳情するつもりでした。

しかし、訥弁のまーきみ。上記の

「また今日も、卵焼き・・」

と言ったとたん、急に詰めてたご飯を炊飯器に投げ入れ

 「あ~~~もう作るのやめた!もう作っちゃらん!パンでも買え!」 

200円でしたか400円でしたか忘れましたが100円玉を数個財布から出して放り投げ、そのまま仕事に行きました。

後に取り残される欠食児童まーきみ。

哀れなり・・・

悲劇のヒロイン・・いやヒーロ

スポットライトを浴び・・「だって・・ナミダがでちゃう・・・」と言う台詞が聞こえてきそうですね。世間の同情を一身に集めるまーきみ。


が・・・・・


後年、この事を他の人に話すと、意外な事に母親に好意的な意見が寄せられました。

特に、リアルタイムで弁当を作っている主婦層に

「おかーさん、かっこいい!」

えええええええー

おいらは・

おいらは、かわいそうじゃないの?

きっと、私がやせていたらあるいは同情されてたかもしれませんがw

弁当を作っているお母さんがたは、もしかしたら、うちの母親みたいな事を一度はしてみたいと思っているのでしょうか?


その後、パン生活は長くは続きませんでした。
うちの母親は頼めばちゃんと望みのおかずを作ってくれました。
キャベツの千切りも、子持ち昆布も、ウインナーも、ランチハンバーグも
弁当箱もアルミの蓋付きにしてもらいました。

ちなみに

この蓋にお茶を入れるのが当時のスタイルでした。
別に湯飲みなんて持ってくる軟弱者はバカにされました。(当時)


思えば、陳情の方法が問題ありだったのでしょう。
作ってもらってるのに、いきなり文句ではね。
お陰さまで、長じてより「頼みごと」は上手になりました。w

家内にもね、怒られない様に上手に頼んでいますよ(たぶん)


「まんま」のごはん


食後のコーヒーも付きます(ホットorアイス)
750円










  

Posted by まーきみ。 at 00:15Comments(3)TrackBack(0)思い出話

2008年02月26日

宇和島太郎

昨日新聞配達の事を少し書いて思い出した。

「宇和島太郎」と言う人物をご存知だろうか?

昭和40年代に、宇和島の主にアーケード周辺を活動拠点とした、当時の言葉で言えば「ルンペン」である。

「ルンペン」と聞くとチャップリンや山下清画伯を思浮かべる人もあるだろうが、彼のいでたちはその両者とは全く共通点が見いだせなかった。
後年、やはり宇和島市で有名になり新聞にも紹介された「ヤギ先生」が裸で暮らしてるのに対し、彼は年中ドテラのような物を着ていた。ステッキの代わりに折りたたみのこうもり傘を小脇に抱えていた。しかし雨中にも関わらず、その傘を差しているのは見たことがない。雨の中を傘を小脇に抱えて歩く後姿は、詩的でもあり哲学的でもあった。

私が新聞配達をしていた地域は主にアーケード周辺だった。彼とは毎日すれ違った。
アーケード街をエンドレスに往復してたのだろうか、昼間も見かける事が多かった。

不思議な事に当時「県下で一番の美しい景観」と謳われた宇和島の商店街に、決しておしゃれとはいえないコスチュームとヘアースタイルで黙々と歩きながらも少しも違和感を覚えなかったし、我々の友人のだれも苦情を言うものはいなかった。
やはり彼は只者ではなかったのだろう。

一言も口を利いたことはもなく、毎朝決まったようにすれ違う彼を空気のように感じていた。そんなある日彼が私の前で血相変えて小走りになった事があって、思わず立ち止まってしまった。
何をするかと視線を地面に移すと、「ノースキャロライナ」だったかキャラメルが数個落ちていた。それを『餅まきの時のベテラン主婦」のように両手で一瞬に拾い上げそのまま私の横をすり抜けていった。
すれ違う時、かすかに彼と視線があったような気がした。

おそらく、彼は道に落ちているキャラメルを私に横取りされる事を恐れたのに違いない。
「失礼な。そんなもん拾うか!」と心の中で思ったが、つい先日自転車で走りながらサイフを拾ったことを思い出した。
わたしがその後も、何度もお金や物を拾った・・と言う事は既に述べた。
あるいは彼は私の才能を見抜き、常にライバルとして警戒していたのかもしれない。

それにしても一介のルンペンに「宇和島」の称号を送る宇和島市民のおおらかさはどうだろう。
「・・市役所」「・・・自動車」「国鉄・・駅」など並び、宇和島を冠して堂々と歩いていた彼に喝采を送る人々も多かった事だろう


その後、高校を卒業して他県に行ってからは彼の姿を見る事はついになかった。
地元に残った友人の話では
「宇和島の名物としてあのままにして置けばよかったのに、お役人が無理矢理施設に入れてからすぐに死んでしまったらしい」と残念がっていた。

昨日、消防団の慰労会で久々に商店街を歩いたが、今でもこのあたりで彼が未だに傘を抱えて歩いているような気がしてならない。



アーケード街(現代)



  

Posted by まーきみ。 at 10:55Comments(6)TrackBack(0)きれいなもの

2008年02月25日

お金を拾った思い出

昔々の事だが、森田整形外科(現駐車場)の近所に旅館だったと思うが、玄関の周りを竹で編んだ囲いをしてた家があった。
ある日、友人とその前をを通った時その友人が木切れかなんかで、その竹垣の表面を滑らせながらカラカラと音を立てて歩いた。
真ん中くらいで、私に代わるように促した。言われたままにカラカラさせて歩いてある場所に来ると、中から


ワン!ワンワンアワン!

大型犬と思われる犬が吠えた。私はびっくりして飛び上がってしまった。

その友人が誰だったか思い出せないが、こんな面白いことを私が真似しないわけが無い。

その後、何人かの友人を同じ手口で驚かす事に成功した。彼らはみな、様々なリアクションを見せてくれたw。

後年、どこかのスナックで「ハブの卵」と言うのにまた騙されて、この事を思い出した。

ハブの卵、皆さんご存知だろうか?ケースやさんの弟子&師匠で夜の帝王「のんびりおやじ」さんなら知ってるかも。
いや、きっと知ってるのに違いない。(断言)


話が逸れた。

私は実は中学生の頃、ある夏休みの未明にこの前で小さな小銭入れを拾った。
拾って中身(6660円だった)を見たとき、心の中で

「What a lucky boy ma-kimi is!」

と叫んだ。

そして、そのまま、未明の国道を自転車で急いで立ち去った。

まだ、町はサイレンがなる前だ。夏の夜は明けているが人影はまばらだ。
誰もこの事を見た人はいない。

ただ一人

西江寺のえんま様以外は・・

絵で見たえんま様の顔が浮かんだとき、えんま様の持ってるカウンターがカチッと音がしたのを聞いたような気がした。
その瞬間、警察に届けることを決めた。


さて、なぜ中学生がそんな時間に自転車で町を走っていたか奇異に感じるかもしれない。

べつに怪しい事ではない。この日から新聞配達に行ってただけである。

ぼくの名前を知ってるかい~~♪


警察署は当時広小路にあった。現在の山口内科のあたりと記憶している。

落し主が現れないときは警察署に取りに来るのだが、半年後は警察署は現在の移転が決まっていて、そこに行く道順まで親に聞いて確かめていたが、一ヵ月後に落し主が現れた。東高の生徒で一ヶ月名乗り出なかったのは、夏休みで帰省してたからだと言ってた。

その後、不思議な事に宇和島や就職先の名古屋市などで何度も財布を拾い警察に届けた。中には6~7万円とかなりの高額もあった。これは同じ店で飲んでた人が店を出たときに落としたらしい。
小学生が塾に行く途中に落した月謝袋もあった。ある意味「お金に縁がある人生」なのかもしれないw

小額の時は「権利を放棄する書類」に署名した。わざわざ拾い主の家に来る煩雑さを避ける為だが、警察官によっては逆にそれを認めず「後々の事もありますから必ずお礼に行かせます」と言う人もいた。
お金以外の、体操服や免許証、生命保険の契約書なども拾った事があったが、すべて後で落し主や家族の人がお礼の電話をくれたり手土産を持って来たりした。一度も「なしのつぶて」が無かったのは宇和島の人が、やはりまじめで人が良いせいじゃないかと思う。


宇和島の町並み(本文とはあまり関係ありませんw)




  

Posted by まーきみ。 at 22:24Comments(12)TrackBack(0)思い出話

2008年02月24日

えんま様に行かなかった。

今年は消防出初式のためえんま様に行けませんでした。

(悪行のペナルティーを恐れてと言う指摘もある。)

とりあえず、近所に貼ってたポスターを





ところで問題です。
↓の蟹の焼き物は何でしょう?




ヒントは「セーラームーン」





正解は・・・





月に代わって




箸置きよ~♪
すいません。。。またしらけさせましたね。( ´-`)チュンチュン
えんま様の怒りを買った事でしょう。。。


夜は慰労会です。



こんなご馳走も。このあたりの名物「せい」「亀の手」です。
うちの近所の海岸にも着いていますが、食べられるほど大きいのは無いようです。
(クリックしたら大きくなります)


お酒をほとんど飲まない私もこの日だけは夜の街に出ます。
しかし、今はほとんど早めに帰ります。
無事、只今帰りました。
お風呂に入って寝ます。おやすみなさいませ!

  

Posted by まーきみ。 at 23:41Comments(6)TrackBack(0)おいしいもの

2008年02月24日

消防出初式

宇和島地区の消防出初式は、近隣の地区に比べて遅いらしい。
これでも合併する前は3月だったので、少し早くなったか。
合併前は、幼年、少年、婦人防火クラブ、などが参加するため、あまり寒い季節は避けたのだろう。

朝起きたら、あまりの寒さにびっくりした。
しかも、途中から雪が降り出した。
待機の穴馬さんがうらやましい。
できるものなら替わって欲しいと思ったface10


梅の咲き誇った頃、出初式

うちの子供たちが幼年消防クラブで出場した十数年前、やはり寒い日で途中大雪になったため柴田市長(当時)の判断で行進、お遊戯が中止になった。
あの頃は最後にはしご車からの餅まきがあった。ただし団員は参加できなかった。子供達とお母さん、それに来賓の方々のみ
参加者が限られているせいか、餅をまだまいてるのに、満足してかえる人もいるくらい、「あたりのいい」餅まきだった。

その餅まきに団員のくせに参加した不届き者がいる。
もちろん私である。face07

誤解しないで頂きたい。「掟破り」をしたのではない。

付き添いの予定だった家内が、婦人防火クラブの役をしていたため移動しなければならず、仕方なく子供の付き添いをしただけなのだから。

ただ、子供が拾った餅をヘルメットに入れて、それを持ち帰った為、周囲から「団員のくせに餅まきに参加した!」と白い目で見られていたかもしれない。

「白い目」と言えばまだある。

その年の前後だったと思うが、出初式の前日、友人に誘われて「大ちょうちん」で焼肉を食い、そのままNTTの裏にあった「トム&ジェリー」で大酒を飲んで、その上「ぼん平」でちゃんぽんを食って帰ったものだからそれが祟ってすっかり二日酔いになってしまい、朝起きられなくなってしまった。

午前8時頃、イッチャンが外で呼んでいる。イッチャンは消防仲間で大先輩である「かたづけやさん」ではない。

「まーきみ。でてこんかー」「出初式行くぞーー」 「中におるのはわかっとるんぞー!」「かねはらえーーーー」
声のトーンがだんだん上がる。
それでも起き上がれない。とうとう休んでしまった。

消防出初式のあった夜は料亭で「慰労会」があるのだが、式にでなかった私は参加する資格がない。そう思っていたら、イッチャンが迎えに来てくれた。
しぶしぶ参加した私に仲間達が
「おまえーなにしよったんぞーー」「しんぱいしたぞー」「かぜでもひぃたんかー」
各人各様の労わりの声に「二日酔いで寝てた」とも言えずにひたすら愛想笑いをするだけであった。

そのときの料亭は、今はもう営業してないその後しばらくして閉店になった。しかし今でもその前を通るたびにあの二日酔いの事が懐かしく思い出される。

今夜、各地の消防団員が町に繰り出す事だろう。かつてのように無茶飲みする人も騒ぐ人も少なくなった。飲酒運転はもとより社会の迷惑になる行為は絶対しないように申し合わせている。
どうか皆さん、楽しくやりましょう。
一年ご苦労様でした。



  
タグ :出初式

Posted by まーきみ。 at 16:41Comments(3)TrackBack(0)エッセイ

2008年02月23日

じゃこてんの思い出とじゃこてんカレー

いつのまにか「じゃこてん」というのが正式名称になった感がある。かつては「てんぷら」と言っていた。

私は子供の頃「てんぷら」とは「じゃこてん」の事で、いわゆる「天麩羅」の事は知らなかった。

「坊ちゃん」の「天麩羅蕎麦」もじゃこてん入りだと、長い間思い込んでいた。

うわじまユースの浅田さんが感動した「ジャコテン入りカレー」はこのところ学校の給食にも登場したそうだ。

「ヘルシーなシーフードカレー」との触れ込みだが、実際に「じゃこてんカレー」を食べた年代としてはいささか面映い気もする。
なんだか貧乏な時代の代名詞のような気がして。


以下に私のじゃこてんカレーについて覚えてる事を列挙す(順不同)

①当時はスプーンが無くて、赤ちゃんの粉ミルクのアルミの計量スプーンを取っておき、それを代用した。
普通のスプーンのように柄にカーブが無く、フラットなため掬いにくかった。

②カレー皿は無く、代わりに大き目の様々な皿を使った。当然ながら家族で不揃いだった。家長が一番大きい皿で、長兄がそれに続く。最年少者は小皿だった。ちなみに私の亡き祖母は最後まで箸と茶碗にこだわった。

③カレーのパッケージに描かれている。「ソースポット」をアラジンの魔法のランプだと思い込んでいた。

④ご飯の時の飲み物は「お茶」のみで、水を飲むのはマナー違反だとしつけられた。メニューがカレーーの時も例外ではなかった。

などなど。

後年テレビCMで岡田茉莉子が「とってもデリッシュ」と言った時代が私にとってもカレーの進化がピークに達した時だろうか?

話は逸れるが、家内は幼少の頃、肉屋の近所に住んでいた事を自慢にしている。
「肉の入っていないカレーなんて信じられない」と
その話を聞くたびに私の胸の奥に隙間風が吹き抜けるのを感じる。
夫婦の溝はそんなときに深まるのかもしれない。。。face10


古きよき時代・・・か

話をジャコテンに戻そう。

昨年だったか、昼食にじゃこてんを食べていて母親が「昔、家にてんぷらバーヤンがよく来よったが・・」と話し出し、すっかり消えていた3~4歳当時の記憶が蘇った。

年はそう、60代後半だったろうか?地味な着物を着て積み重ねたモロブタを唐草模様の風呂敷に包み背中に背負って家から家をジャコテンやチクワの行商をしていた。
店頭よりいささか安かったのでうちの近所でも良く売れていたようだ。
私が物心付いてからしばらくして見なくなった。

私が記憶している「てんぷらバーヤン」は上記の通り地味な服にほとんど白髪になった髪、大きな風呂敷包みを背負って雨上がりのぬかるんだ道を裸足でとぼとぼと歩く、風貌はそう、ゲゲゲの鬼太郎の仲間の女性キャラを思い浮かべてもらうと良い、ネコ娘ではない。

子供の頃、なぜかそんな風景をたまに思い出していたがいつの間にかきっと自分の空想か夢で見たんだろうとほとんど忘れていたが、おふくろの話で「実在の人物」だった事を知った。
しかも丸っきり知らない人ではなくいささか縁のある人だと。

それにしても、「てんぷらばーやん」とはひどすぎるネーミングだ。「おばーちゃんのジャコテンやさん」とか「グランマ・ジャコテン」とかかわいらしい名前でも付けてやればよかったのに。

もっとも「てんぷらばーやん」のネーミングがおふくろだけのものか、近所での通称か、それとも本人がそういったのか今となっては確かめる術もない。おふくろも覚えては無いだろう。

いずれにしても、宇和島人の中には好むと好まざるとに関わらず「じゃこてん文化」がしっかりと根付いているのだろう。



  
タグ :じゃこてん

Posted by まーきみ。 at 23:02Comments(10)TrackBack(0)おいしいもの

2008年02月23日

学校の先生の思い出。

私が行ってた小学校は、鶴島小学校である。
もう数十年前に卒業したが、卒業後、10年くらい経って「もう、鶴島小学校が無くなるらしい。老人施設になるんやと」と言う噂が立った。
後日根も葉もないデマだと判ったのだが、この噂を聞いたとき何ともいえない寂しさが込み上げたのを今も覚えている。
最近、魚神山小学校、僧都小中学校のうち、中学校が廃校となった。在校生ならびに卒業生の心中察するに余りある。

さて、小学校の時分、多分5~6年生だったと思ったが、M先生という女の先生に呼び止められ、咎められたたことがあった。
理由は「運動場に落ちていた水飲み用のカップ(アルミ製)を蹴った」と言うことであった。
言われてみて思い出した、かすかにそんな事をした記憶があった。・・・はるか30分ほど前に・・

「都合の悪いことは3歩歩いたら忘れる」を身上としていたまーきみ。少年に既に時効が成立したと思われる30分も前の事を持ち出す先生もどうかしてる。。。と渋々聞いていたのだが。
後で思うと不思議だが、先生は受け持ちの学年も違う、ほとんど話した事もないのに私の名前をどうして知っていたのだろう?
当時鶴島小学校には一学年100人以上は居た筈である。
まさか私のブログを見ていた訳ではあるまい。

M先生の思い出その2

明倫町のある駄菓子屋に行った時の事、店のおばさんとM先生が話していた。聞くとも無く聞こえてくる会話は、こうであった。

昨日三人ほどで店に来た小学生が「仮面ライダースナック」というのを買い、そのおまけのカードだけ取ってお菓子は店のゴミ箱に捨ててしまった。それを見たおばさんは「もったいないことをするな」と咎めたが小学生達はそのまま帰ってしまったと言う。

これは「仮面ライダースナック事件」と言って当時小学生の間に全国的に派生し大きな社会問題となっていた。ご記憶の方も多いと思う。

店のオバサンは、そんな事をする子供が信じられない。お金や食べ物をなんと思っているのか?親の金でもくすねているのではないのか?と言う相談だった。

神妙に聞いていた先生は、ややあって
「まーきみ。お前もライダースナックを買いにきたんか?」

「ちがいまーーす」

私は当時、仮面ライダーより「ネコジャラ市の11人」のシーラの貫太郎のファンだったのだが。


M先生について記憶していることと言えば、行事のたびに司会を勤めておられた事だ。
そしてすごく美人だった。八千草薫と黒木瞳の良いとこばかりが調和したような風貌と凛とした気品があった。

私がM先生と話したことといえば、それくらいで卒業してから後は、それすらも忘れてしまっていた。
それが数年前、一冊の本を読んでいて鮮やかに思い出したのである。

図書館で借りた「板島橋」と言う本、作者は宇和島市出身の木下博民先生という80も半ばを越えて尚お元気な方である。

板島橋を説明するにはどうしてもその先にある今の坂下津産業団地の前身「宇和島海軍航空隊」通称「予科練」の話をしなければならない。
予科練は名の通り、戦時中、現代の中高生位の年齢の人に軍事教練を施した海軍の施設である。詳しい説明は後日に譲るとして、終戦後、練習生達はそれぞれ復員して故郷に帰ったのだが、台湾、満州(当時の呼称)沖縄など、外地から来て親の所在も判らなくなり残った練習生が十数人いた。

それらの練習生が戦後のある時期、予科練の跡地を開墾し自給自足の生活をした事があった。それらの面倒を見た人物が戦時中司令長官だった、U大佐であった。
実はM先生はU大佐の三人ある娘のうちの長女だったのである。
U大佐は自分の家族を東京から呼び寄せ練習生と暮らし、その後彼らが順々に復員した後も故郷に帰らず、ついに宇和島の人となったのである。
住まいは橋のたもとにあった当時の「白石商店」の裏手にあったそうだ。

この事を知り、後は私の想像である。

M先生は戦後の混乱期の中で経験した諸々の事、物や食べ物を大切にしないといけないことなど、特に当時先生の思い出の地である予科練の向うから通ってくるまーきみ。に教えようとしたのではないか。
甚だ穿った考えで恐縮だが、そうやって考えてみると私が怒られたわけも少し納得できるのである。

運動場に転がっていた土で汚れたカップを蹴ったくらいで、今の先生が生徒を呼びつけて怒ったりするだろうかと

卒業後数十年を経過して、子供の頃に怒られた事の意味を悟る。嬉しいような恥ずかしいような話である。
最後まで読んでくれた方。ありがとうございました。



予科練があった事を示す記念碑。ひにちは忘れたが、毎年元練習生がここに集まっている。



  

Posted by まーきみ。 at 01:40Comments(0)TrackBack(0)気功

2008年02月21日

いも天とおでん

高知に行く折によく寄るところです。

津野町(旧東津野村)道の駅「布施ヶ坂」



余談ですが、ここは「タモリのジャポニカロゴス」で紹介された「放し飼いの卵」の看板のあるところです。
(放映後、一時「放し飼いの鶏が生んだ卵」と訂正されていましたが、この日は元に戻っていました)

わたしはいつもここでおでんといも天を買います。


道の駅本館向かって左に進むと・・

 
看板の奥では「ミスいも天」が名物のいも天を揚げる。右は私が買ったいも天(クリックしたら大きくなります)


この前を歩くと、店の中からご主人「ミスターいも天」が声を掛けます。

「おじょうさん!おじょうさん!スープ飲んでいきぃーや!」

何のためらいも無く「は~~い♪」face02と答えるキミコ・・

こんどは、私が家内に聞きます。

「おじょうさん、こんにゃく食うか~」

「うん、食べようかね」(すごく自然に)

・・・・・・・・・・

下の写真は「おじょうさん」と「おじょうさんの同伴者」に振舞われたスープと購入したおでん&鶏飯

おでん一本100円鶏飯350円 計750円


「たくあんは好きなだけ、とりぃーやー」
遠慮して、少しだけ取るまーきみ。の皿に、さらに放り込む「ミスターいも天」太っ腹だ。


このこんにゃくがすごく美味しい。歯ざわり最高!


特製のタレかカラシをたっぷりと。


これぞ「一心不乱」face10


川魚と鶏肉を炭火で焼く。奥にいるのが「ミスターいも天」

「おじょうさん、揚げたてのいも天、食べたことあるがかやぁ~」

おじょうさんは、カンタービレな声で

「ない~~」face01

うそつけ・・

食っただろうが

この前も、その前も。

(まーきみ。心の声)



揚げたてのいも天(サービス)を食べるおじょうさんと同伴者

太っ腹な「ミスターいも天」のおかげで、私たちも太っ腹・・

写真には写っていませんが、この店にはもう一人「グランマいも天」もいます。


皆様も、高知方面に行かれた折りには是非お立ち寄りを。
このあたりで売ってるいも天は、いも天の常識を覆すほどおいしい。

そのときはおじょうさんとの同伴をお奨めします(おねえさんも可)。サービス向上間違いなし。



えびす三郎?


この看板が目印





  

Posted by まーきみ。 at 20:10Comments(7)TrackBack(0)おいしいもの

2008年02月21日

ドーナツのたこ焼き

「Mrドーナツ」の「Dポップ」(210円)と言う商品をご存知だろうか?
あの、ドーナツのたこ焼きみたいなやつだ。(画像参照)



うちの子供がまだ小さい時、そう15年くらい前、あれが好きで良く買いに行った。

あの頃は透明のカップに入っていたような記憶がある。

丁度その時分のある日、家内が北フジでの買い物の帰りにMrドーナッツに寄って例のドーナツを買おうとした。

おそらく、そのときは少し急いでいたのだと思う。カウンターの店員さんに、やや慌て気味にこう言ったらしい。face10










Dカップください!


!Σ( ̄ロ ̄lll)

やっちゃったよ、おぃ
しかし・・
覆水盆に帰らず。綸言汗の如し。後悔先に立たず。日はまた昇る。誰がために鐘はなる。誰が故郷を思わざる。face07

店員さんがもし、久本雅美、あるいは柳原可奈子風の気の利いたツッコミの一つも入れてくれたらどんなに救われただろう。
しかし、それは望むべくもない。

しばし沈黙が流れた。

フリーズ~フリ~ズ~ブリザーーード

ここで家内の名誉のために一言、申し上げておきたい。彼女はいたって真面目である。私と違って間違ってもウケ狙いでオオボケ言うことは万が一にもありえない。ホントに言い間違えたのである。神に誓ってもいい。

それが判るからこそ、店員さんもフリーズしてしまったのだろう。

気を取り直した店員さんはさすがプロ。face05
Mrドーナツはマニュアルの大家。

何事も無かったように
「Dポップでございますね?」
営業スマイルで、てきぱき、サクサクと会計を済ましたそうな。


店を出て、少し歩いて店内を振り返った。そして家内は見てしまった。

ショーウインドウ越しにカウンターの向うで店員さん2人が向かい合って、両手を組んで頭を下げている。
丁度、童謡の「通りゃんせ」の格好だ。
そして、その「通りゃんせ」の肩は小刻みに揺れている。笑いをこらえるのに死ぬほどの努力をしているのが見て取れる。

仕方ない、接客のプロとはいえ、まだ箸が転がってもおかしい年頃なのだから。
しかも今、通りゃんせシスターズの頭の中で転がっているのは「箸」どころの騒ぎではない。

帰ってからそのことを話した家内は「失礼しちゃう」と憤慨していた。メーカーのネーミングに問題ありと。フェミニストを自認する私はもちろん家内に大いに同情した。
ちなみに「Dポップ」はその後時を待たず我家では禁句になった。また、Mrドーナツに買い物に行くのはその日を境に私の役目となったのである。


注 後で家内の抗議&指摘を受けて「通りゃんせ」の部分を一部訂正しました。お詫びしてご報告します。  

Posted by まーきみ。 at 00:51Comments(4)TrackBack(0)おいしいもの

2008年02月20日

気配りのすすめ

椿さんが過ぎ、えんま様を迎えます。
一番寒く、また春の芽吹きを感じる頃。


避寒桜がきれいに咲いていました。

しかし、今年は寒い。灯油の消費量が半端じゃないぞ。値段が高いから余計そう感じるのか。


ところで、この寒さには防寒対策が必要ですね。省資源のためにも「重ね着」が有効でしょう。

女性は男性より薄着をしてるような印象がありますが、あのインナー用のネルの長袖のシャツ。

「OL進化論」のジュンちゃんや久美子ちゃんは、あのインナーを

「ババシャツ」

と呼んでいました。

若い女性の方々、そう、今PCの前でこれを読んでる女性はすべて当てはまりますが・・


しかし、すでにご存知かもしれませんが、この ババシャツ間違っても、


本物のバ・

いえ、その、あの、face06

「自分より、ちょっとでもおねーさん♪」

の前では言わないようにしましょう。

このおきてを破って、村八分になりかけた人が、私の周りに実際にいます。

結局は許してもらったんですけどね。

やはり、女性は基本的には優しいのです。(ここ、試験に出ますよ!)face01


話は続きます。


仕事の途中でお客様同士が下記の会話をしてました。どうもへアーマニュキュアの話のようです。


「年を取って、体がえろぉなると、髪の事なんてどうでも、ようならい」

「なぁ、まーきみ。さん?」


いきなり振られた私は、つい

「そうですよねーーー」といってしまいそうになります。

しかしこれは不正解

留守ヶ台予備校模範解答例



「いえいえ、奥様方のように美しい方に限ってそうおっしゃいます」(きっぱり)

そういったら、笑っておられましたがしかし、満足そうでした。
(やったね!)

次は失敗例

私の母親の事を、仕事先では謙譲のいみを込めて

「うちの、ばーさん、ばーさん」と呼んでいました。

ある日、そこの奥様が

「まーきみ。さんのお母さん、幾つになるン?」

「あーええと、〇〇歳になるはずです!」

「わたしと2つしか変わらんやん・・」

明らかにご不快な顔色

Σ(ノ°▽°)ノハウッ!


夏目漱石の「坊ちゃん」には、言葉だけ捉えれば、松山の人にすっごく失礼な部分もあるかもですが、

それらを踏まえても尚、愛されているのは、漱石本人の「純粋でまっすぐ」な気性を感じての事ではないかと思います。
松山の人を、騙したりいじめたりしたわけじゃないもんね。

なんだかんだといっても誠意が一番であることは言うまでもありません。
わかっとるんか!まーきみ。!

「忠誠以て人に接す」(吉田高校〃訓)


  

Posted by まーきみ。 at 10:52Comments(4)TrackBack(0)気功

2008年02月20日

だるま夕日が見られなかった。

今日は出張で宿毛方面まで足を伸ばしました。

折角なので、有名な「だるま夕日」を見に行こうと思い立ちました。

場所は「宿毛道の駅サニーサイドパーク」



ここの入り口にこんな看板が



「見えるかも♪」と言う曖昧な表現に、いやがおうにも期待に胸が膨らむ。


スリルとサスペンスでドキドキと、ときめいてくる。


悩ましすぎる・・・・



この・・・



ど悪魔め!






違った「小悪魔」だ。

すいません。。。またしらけさせましたね。( ´-`)チュンチュン


しかし、この道の駅、すごすぎる。
他にはないロケーション。


まぁ、これはいい。だるま夕日の看板。

問題はこの店だ。



あの、ブタさん?いや・・・くまさんの「わたがし」

使えるのか?

お好み焼き?そういえば昨日のブログに書いたな。

今風のレストランっぽい店より、こんなレトロな「闇市風の店」に何か惹かれるものが・・きっと美味しいだろう。

中から広能と槇原を従えた山守親分でも出てきそうだ。

広能「すいまっせん、オヤジさん。お好み焼きの代金は、働いてちょっとずつ返しますけん」

山守「な~に、ゆうとんならぁ~、子の食ったゼニを取る親がどこの世界におるんならぁ、のう政吉」

槇原「しょうちゃん、オヤジさん、ああいいなさるけん、気にすなや~」

しかし、このおもちゃの車は・・




海岸の方に向かって歩く。

海辺の公園。

定番のカップルがここにも



絵になるなぁ。


海岸まで出てみると



そうか、この時期はここからは見えないんだ。まぁ今日は雲が多いから移動しても無理っぽい。


でも、これだけで充分美しい。



水鳥のアップ。鴨かも?


しかし、またしても不思議な看板




こんなに寒いのに、ネコなんていないだろう?



おった。



しかも、よくなれている。




もう一度、ネコと一緒に見る夕日。(よみひと まーきみ。)


おまけ

風車が回ってる。音が聞こえるようだ。


こんな話あったね。バブル絶頂期の頃。

  

Posted by まーきみ。 at 00:56Comments(8)TrackBack(0)

2008年02月19日

まぁるいお皿の、くるくる寿司

もう、10年ほど前に近所に「回転寿司」ができて、生まれて初めて経験した。

実は、私は20歳を過ぎるまで「寿司屋」と言うところに行った事がなかった。
丸フジの前にあった「小僧寿し」以外は・・

22歳の時、名古屋市で高知出身の友人に誘われて行ったのが最初。

そのとき同伴したもう一人の福井の友人は水槽の車海老を見て

「このエビ、ハサミがないで~~」


「ふっ、パパ、ハサミがあるのはザリガニよ」

と、寿司屋の常連っぽく答えるまーきみ。

この福井の友人は名前は何て言ったか忘れてしまった。おっさんくさいキャラから、同級生に「パパ」と呼ばれてたのだけ覚えてる。

さて、パパのオオボケのお陰で、「寿司屋、恐れずに足りず・ふふふ」と余裕を覚えたまーきみ。は、調子に乗って2人前ほど食ってしまった。(ただし、並み)


話を戻そう。


近所の回転寿司は、子供を連れてよく言った。大人になった時、寿司屋を知らない人に育ててはいけない。
エビとザリガニを混同して笑われてはかわいそうだ。それが親の義務だし、世間への義理だろうと、、、

ここの店員さんは元気があって親切なのだが、一つだけ気に入らないところがある。
それは、皆が時々声をそろえてこう言う。

「(回ってないネタで)欲しいネタがあったら注文してくださいね~~」



おぃ、回転寿司って所は、声を出して注文するのが恥ずかしかったり、ネタの名前がわからなくて注文できないまーきみ。みたいなシャイな客が来るところじゃないかい?
「あの、赤いブツブツが載ってノリで巻いてるやつください」「すいませんけど、ピンクでタマネギとマヨネーズが載った・・ええと・・」みたいな・・

もちろん、気の小さい私はそんな大それたツッコミはしなかったが・・


再び話は替わる。


去年の春、子供が進学のため県外に行った。
そこで中学時代の友人に会ったとき友人のお父さんに回転寿司に連れてってもらって、ご馳走になったそうだ。

子供が後で不思議そうに言う。

「ぼくは、たくさん食ったのに、おっちゃんは『遠慮するな、遠慮するな』とばかり言ってた」と

それはヘンだな。
我家の家訓として

「人のオゴリのときは死ぬほど食え!」と教えてきた。

こういうと自慢になるが、うちの子は親の言う事を守る子だ。

そういいながら考えていて、ハタと気付いたことがあった。

まーきみ。家回転寿司ルールその1


光る黒い皿、金の皿は取ってはだめ!



賢明な回転寿司フリークの皆さんなら、もうお気付きだろう。
そう、高価なネタは、そのような皿に載せられているのだ。
私は子供に
「いいかい?あのきれいな皿は、店のサンプルみたいなもので数に限りがあるから、取らないのがマナーだよ」
と、教えてきたのだ。


長じても子供は、その教えを忠実に守ったに違いない。


なんとも、恥ずかしい思いに全身を包まれた瞬間だった。

人間交差点(ヒューマンスクランブル)回転寿司

今日も人々の、いろんな思いを乗せて

まわる~まわるよぉ~わたしは~ばってらぁ~~♪



回転寿司やさんの前身の焼き肉屋さんは道路改修が始まる前はこの橋のたもとにあった。

  
タグ :回転寿司

Posted by まーきみ。 at 10:13Comments(4)TrackBack(0)おいしいもの

2008年02月18日

兄弟分(たこ焼き)

たこ焼きの話題が良く聞かれます。

たこ焼きの兄弟分といえば、お好み焼きですね。

以前、仕事場が恵美須町だったころ「梅鉢」と言う店によく行ってました。
あそこって確か、2階もあったね。

私が高校生のころ初めて行った、卯之町(西予市)のAコープ(今は閉鎖した)の前の「菊水」と言うお好み焼屋さん、ここはすべてセルフで焼きます。

「あぁ~~ん。ぼくぅ~できな~~い」と甘えた声を出しても誰も助けてくれません。
世の中、そんなに甘くないぞ!おっちゃん、おばちゃんは、無言でネタの入った、そう、あの給食の器みたいなのを、目の前に置いて立ち去ります。
もう、自分でするしかありません。

これは、もう、



お好み焼きの、大介うどんや~~~

(きよまろ風)





それはさておき・・・

初めのころは、あのお好み焼きをひっくり返すのが、すごく難しかった。
デジタルな私は、きっかり5分毎にひっくり返していたのですが、ある日お好み名人の友人から「ネタに泡が立ってからひっくりかえす」と教わりました。目にウロコ

さらに、「ソースを塗る前に、コテで切れ目を入れてから塗ると浸透して美味しい」「ソースは塗ると言うより置く様に・・」
「レアーな状態で火を消さないと、時間が経つと焦げてしまう」などお好み焼きのノウハウを少しずつ伝授してくれました。
それから、私の特訓が始まりました。


「やや内角にえぐりこむように焼くべし、焼くべし」
 
(明日のためにその一)



その努力の甲斐あってか、なんとか人並みに焼けるようになりました。

子供が小さかった頃はよく行きました。あまり行かなくなって、もう5年くらいになりますか。最近も久しぶりに行ったら、おっちゃん、おばちゃんは、ちゃんと私たちの顔を覚えていてくれました。
今はもう一人、娘さんらしき人が手伝っていらっしゃるようです。
この娘さん、両親の年とか、時折漏れ聞こえるお子さんの話とかで、私と同じ世代かな?とは思うのですが、昔から「ボクと同い年くらいかな?」と聞くと、女性はなぜか機嫌を悪くされるので、未だ聞かないでいます。


宇和の歴史博物館。

  
タグ :お好み焼き

Posted by まーきみ。 at 20:56Comments(7)TrackBack(0)おいしいもの
プロフィール
まーきみ。
まーきみ。
宇和島市で気功と整体の手技を調和させたセラピーをしています。
< 2008年02>
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29  
最近のトラバ
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 0人
オーナーへメッセージ