2008年07月10日
10日えびす 遥かなるノスタルジア
その昔、ここは私の仕事場だった。
毎日ここを駆けずり回った。
もちろん、その事を知ってる人は少ない。
今のブローガー各位の家にもお邪魔した事がある。
その方たちの、親御さんかその親御さんの時代。

ここを毎朝自転車で走ると、坂道なのだなとしみじみ思った。
35年前の中学校時代、新聞配達のエリアだった。今は廃刊になった「日刊新愛媛」その頃は宇和島で印刷していた。
お世話になった販売店の社長さんは、今は不動産業をしておられるようだ。

懐かしい車 カローラ1400cc その当時走ってた車か?

この神社に、初めてお参りした。

お札をいただきました。

本来、男には縁が無い婦人服売り場に入って

しかも、ご馳走になるなんて、人生のスケジュールには入っていなかった。
これも、恵比寿様のお導きか そういえば戎山の住人だし。
もちろん、マルオー洋品店のはこさんのお人柄も

時間の経つのも忘れて、しばしの郷愁に浸る。
毎日ここを駆けずり回った。
もちろん、その事を知ってる人は少ない。
今のブローガー各位の家にもお邪魔した事がある。
その方たちの、親御さんかその親御さんの時代。
ここを毎朝自転車で走ると、坂道なのだなとしみじみ思った。
35年前の中学校時代、新聞配達のエリアだった。今は廃刊になった「日刊新愛媛」その頃は宇和島で印刷していた。
お世話になった販売店の社長さんは、今は不動産業をしておられるようだ。

懐かしい車 カローラ1400cc その当時走ってた車か?
この神社に、初めてお参りした。

お札をいただきました。
本来、男には縁が無い婦人服売り場に入って
しかも、ご馳走になるなんて、人生のスケジュールには入っていなかった。

これも、恵比寿様のお導きか そういえば戎山の住人だし。
もちろん、マルオー洋品店のはこさんのお人柄も

時間の経つのも忘れて、しばしの郷愁に浸る。
タグ :十日戎
2008年07月10日
石碑は語る

最近は宇和島でも珍しくなくなった鵜

やはり、大洲から来たのか?
餌場がなくなって、宇和島に来たのか?
ちゃんと真っ直ぐ来たのか?
それとも、やはり、鵜だけに
迂回して来た?
さて、水辺だけにさらりと流して本題です。


鵜が泳いでいたのは、城北中学校の前の須賀川。
昭和初期の須賀川の付け替え工事の起点がこのあたりだと思って何か痕跡はないかと探していましたが
こんなものを見つけました。

折れた石碑?

桜と書いてある。しかしまだ上に何か文字があったはず?

六百年記念は、上に「皇紀二千・・・」と続くはず。
文字の配列から察するに、桜の上に二字ほど文字があったのでは?

これも上に何か文字が?
昭和15年の 「紀元二千六百年記念行事」は全国的に行なわれていました。
宇和島の各所にこの文字を刻んだ石碑が他にもあるはずです。(丸の内の和霊神社にも有った)
次に愛宕山です。左奥に見える高い石碑

宮城(皇居の事か)を遥かに拝する所か
そして、この塔の裏に

宇和島尋常高等小学校

天満山から撮影 左側が高等小学校 右の広い校庭があるのは宇和島商業学校
これは昭和3年に宇和島市内の高等小学校を一つにまとめた学校で、場所は今の天神町(我々の時代天神小学校があった場所)にありました。
宇和島市誌に「昭和3年 全市小学校の高等科を統合して、宇和島尋常高等小学校とし、これを第三小学校に併置した」とあります。
第三小学校はこの年より「宇和島尋常高等小学校」と名を改め、他は「尋常小学校」となりました。
昭和12年「宇和島高等小学校」 16年の「国民学校令」で中央国民学校と改称します。
昭和20年7月29日の空襲で焼失。戦後予科練の仮校舎でしばらく授業を続け、23年学制改革により「城南中学校」「城北中学校」の二つに分かれます。
この石碑は旧制の高等小学校の唯一の名残かもしれません。
愛宕公園の桜は、宇和島市長山村豊次郎の兄で村松 恒一郎と言う人が「明治39年には戦争に対する功労の故をもって,政府から金三百円を下賜された。その金で,恒一郎は郷里愛宕公園に桜を植え,第2次大戦まで市民を楽しませた」
(たむやむ 人名事典 村松 恒一郎より引用)
と、あります。
「宇和島の明治大正史」によると、今の桜は2代目だそうです。第二次大戦中芋畑として開墾しました。
愛宕公園の中腹にある芭蕉の句碑

明治丁未(ひのと ひつじ)とあります。調べてみると明治40年でした。
桜を植えた公園整備事業の一環として建立した碑でしょうか。
全くの私見ですが、村松が対露強硬派であった事や尋常高等小学校教職員の石碑から「天皇を敬い、国威を高揚する」と言う意義があったのでしょうか。
他の石碑にもそんな感じがする。
最近亡くなった坂村真民氏の有名な言葉 宇和島東高校でも教鞭を取ったらしい。

その右脇にある趣意書 ここにも皇紀を示す文字が。
先日読んだ津村寿夫氏の「宇和島の明治大正史」にも日露戦争の勝利を祝って宇和津彦神社の上に作られた公園と書いてあったような記憶がある。
しかし、調べれば調べるほど、歴史って不思議だなぁ。

かつて頂上広場にあった「天狗杉」伊達秀宗が京都の愛宕山から苗を持ち帰り植えたものだと言う伝説がある。
公園化は日露戦争の祝勝記念に北宇和郡医師会長小高元等が発起し、氏子の協力を得て造営したとある。
津村寿夫著「宇和島の明治大正史」



