2008年07月23日
花も嵐も 1

宇和島市津島町北灘地区
さて先日もブログを見て、整体に来てくださった方がいました。

その上、わざわざお菓子まで頂きました。
では、お客様のご協力にて・・・・

またかい!(゚Д゚)ノバシィィィィィィィィ

すんません・・また写真撮る前に食っちまいました。

有名なクリームイチゴ大福の敷紙と、これまた有名なお菓子「焼餅」の包装紙です。
津島町の有名なお菓子屋さん「保田家」
さすがに包装にも気品と風格を感じさせますね


施術の後 白熊の新聞記事に見入る顧客様
さて、津島の話題が出たところで思い出したのですが、先日お客様でやはり津島町嵐の出身の方に出会いました。

私は ある事情で「嵐」という地名を子供の頃から知っていました。
もしかしたら、45年前に既にここに立っていたかもしれないな!

下灘村 (愛媛県北宇和郡)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
下灘村(しもなだむら)は、1955年(昭和30年)まで愛媛県の北宇和郡にあった村であり、現在の宇和島市の最南の沿岸部に位置する漁村である。昭和の合併で、津島町となり、平成の合併で宇和島市となり、現在に至っている。

その嵐の方がおっしゃるには 「合併して津島町になるまでは、嵐に津島で一番大きな病院があった」 という事でした。
何時の頃からあったのかははっきりききませんでしたが、お話によると「小学校に行ってた昭和20年代に骨折の治療をしてもらった」との事。
場所は現在、漁協の倉庫になっているらしい。

信号を西に入ると橋がある。

嵐川 このあたりは埋立地らしい

下灘漁協 この建物の裏あたりか?

あの路地の向こうに青い屋根が見える


あそこだ


かなり広い 400~500坪くらいか? 聞いた話では、ここが病院だった場所だ。
かつて病院だったという名残は何も見当たらない。
戦前か戦後か分からないが、その時代に病院を建てるには今では予想できないくらいの苦労があったことと思われる。
昔々に大きな公共施設を作る場合、政治、経済に於いて偉い人が居たという事は簡単に想像できる事だが、歴史を調べていて感じたのはそれ以外に地元の人々に強い公共心があり、骨身を惜しまぬ協力があることが絶対不可欠だという事だ。
国や県に陳情してそれで終わりと言う現在とは違い、おそらく、当時の人々に話を聞けば現代人には想像が付かない「苦労話」とそれらを成し遂げた人々の胸に残った「郷土愛と誇り」を知る事ができるだろう。

病院跡の道を進むと嵐坂に向かう旧道になる。

嵐坂隧道に向かう国道56号線
微かに見える黄色い看板は、釣り人たちの間では有名な釣具店

この山道が嵐坂を越えて畑地に抜ける道だ
冬季には畑地から寒風が吹き抜けると言う坂
「嵐」と言う地名はそこから付いたものだろうか?
ため池や古い隧道もあるらしい。近いうちに踏査してみたいと思う。

旧道のひとつ 隧道はこの先か?
その先には「嵐浄水場」がある。

今は公園が平地されている。

水鳥が遊ぶ池 そこから嵐坂を臨む


この美しい公園も、様々なボランティア団体により維持管理されている。
「トレッキング・ザ・空海あいなん」 のルートの一つでもある。

美しい公園にたたずみ、暫し往時をしのぶ


