2009年01月02日

神田川 3 神田橋上流界隈


神田川上流に 「神田橋」がある。

かつては、宇和津彦神社の神領田があった事からその名が付いたとの由来がある。

宇和島の南側の外堀にもなるこの川は、北側の外堀、辰野川のように付け替えはしていないようだ。








左側、京町 右側、賀古町
 

かつてこの通りを、鎌原通りと言った





鎌原通 賀古町の旧名が残る




現在の町割り(地番区域)は街区で区切られているが、昔は背割りで区切っていたので道の両側が同じ町名だった。
故に現在の賀古町は、北側が昔の鎌原通りで南側が賀古町になる。

吉田町の魚棚、本町、裡町は現代も江戸時代の町割りそのままで、境になる背割りには水路が流れている。



この少し先の左側(京町)に明治時代に丸穂尋常小学校があった。

宇和島市の東南を広く囲むように存在した丸穂村(丸穂町ー野川ー新田町)は、どの地区からも通学路が等距離になるように宇和島町に小学校を設立した。
同じく、役場も宇和島町内に求めようとしている内に宇和島町との合併機運が高まり大正6年に合併した。中原町長の時代である。

小学校の校舎はその後、宇和島町立商業学校が丸之内(専売公社東側)から移転した。



右側の賀古町中ほど(高間八太夫屋敷跡)に、明治42年、やはり中原町長の時代に私立宇和島実科女学校が設立された。
戦後、宇和島高等女学校と共に宇和島南高等学校(現・中等学校)の前身である。





一昨年社会保険病院に入院してた時、向のこのモダンな建物は何だろうと同室者と話していた。


樋口虎若邸 医師で宇和島市長を勤めた。 表札がそのまま残っている







この道が昔の大榎通り

右角辺りに、前述の萩森神社に祭られた宏綱が刃傷沙汰を起した家老の稲井氏の屋敷があったらしい。







その向こうに大工町、樽屋町などの職人の町 竜華前へと続く。

その昔、この近所に「尾崎さんぱつ」と言う理髪店があったらしい。
現在の「Family Salon セイコウ」(ファミリーサロンセイコウ)の2代前。
現在のセイコウさんは3代目になる。











市内に残る木藤の看板










再び、神田川へ戻る 今年の紅葉は事の他美しい


賀古橋が見える





左岸の自動車通行道路はここで終わり 護岸敷き沿いの歩道のみ続く








加古町の名前の由来が、賀古朴庵と言う藩医の名前から来とは知らなかった。








このあたりの賀古町と言う地名は残っている。









その上流にある毛山橋










この辺りを昔、毛山村と呼んだらしい。









今度は逆に右岸(市街側)の車道が途切れて、左岸の道路が広くなっている。光国寺橋の石段まで続く









仏海寺が見える 





でもここは妙典寺前だなんて・・・












妙でんな~! face06





仏海寺
子供の頃、値上げしないお寺だと思っていた(1分で中級)


宇和津小学校は仏海寺を右折した所にある。









一度、賀古町と笹町の間の道を上がる。







この通りを昔は「大石町」と呼んだ。









嘉門達夫が宇和島に来たときに歌った「大石湯」は旧町名にちなんでつけた名前と思われる。



このあたりに、もう故人になったが昔、戎山から市会議員になった方がいて自治会の相談で訪問した事があった。






この先、行き止まりです。車は特に注意









光国寺と光国橋  ウルトラマンを思い出すネーミングだ。


ウルトラマンはいないと思うが、山村豊次郎、油屋熊八、中野逍遙などの宇和島の著名人が葬られている。









この階段を下りていけば、毛山橋ー仏海寺に行く










橋から下流を見れば市立病院や九島が見える









市内中心部  お城山が見える 真直ぐ降りれば図書館の前を通って愛和幼稚園へ











この道をたまに、他所から来た車が進入し











にっちも、さっちも、、、だからこんな看板を設置した。


ある日迷い込んだ他県の車の運転手が

「進んでいって、だんだん狭くなって、通れなくなる道があるなんて信じられない」

と言ったらしい。










墓場の対岸は散歩コースになってるようだ。











流れもすごくきれいになった。











道は更に大超寺奥に続く









笹町辺りの町並み



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この記事へのコメント
1分で中級・・・わかりませんでしたq(T▽Tq)
もともと妙典寺前に住んでたのでなつかしかったです。
住んでた所も写真に写ってましたよww
Posted by なかさんなかさん at 2009年01月02日 10:09
なかさん
う~~~ん。難解だったようですね。
何回かしたら、わかるかもw
でも、詳しく読んで下さったので「名誉中級」を贈りましょう。
Posted by まーきみ。まーきみ。 at 2009年01月02日 10:26
宇和島って奥が深いのですね
実家のおじぃ(父)がよく言う地名がたくさん出てました
今度プリントして持って行ってあげよう
喜ぶかなぁ
長話は覚悟せんといかんでしょうな
Posted by relief-mama at 2009年01月02日 10:35
relief-mamaさん
ほぅ
お父様はこのあたりの地理に詳しいのですか?

津島では、話の所々に「とっぽ話」を挿入するのがマナーなので必然的に話が長くなると聞いたことがあります。
ほんとですらい!
Posted by まーきみ。まーきみ。 at 2009年01月02日 11:05
とても懐かしい風景を ありがとう御座います。
やっぱ まーきみ。さんは、凄いですね。
よく ここまでレポートして ブログへアップ出来ますね(^^;)
脱帽です(^^;)a

樋口さんは、昔散髪に来て頂いていました。そして大石湯の息子さんも来て頂いています。

14枚目の写真は、昔私が、小学生だったか中学生だったかに写生したアングルにちかいですね。
http://seikou38.i-yoblog.com/d2008-08-28.html

ps 私で 3代目になります。(^^;)
初代(祖父) 尾崎さんぱつ
二代目(父) セイコウ理容所
三代目(私) Family Salon セイコウ
Posted by セイコウ at 2009年01月02日 11:47
いつもこの辺りを歩いています(^o^) 写真に撮ると 又 違った風景ですね。 毛山橋の少し下流に 鴨の親子がいますよ。
Posted by はこはこ at 2009年01月02日 15:39
セイコウさん
ほう、写真と同じ絵が!
1代前がセイコウ理容所で、2代前が尾崎さんぱつ、尾崎とはだれかの屋号を引き継いだのでしょうか?
4代目は、さてどこに?

はこさん
鴨の親子は見ませんでしたが、子供たちが寒いのに水遊びをしてた。
Posted by まーきみ。まーきみ。 at 2009年01月02日 16:38
新年おめでとうございます。
こちらにUPされているローカルな景色は後年必ず、貴重な郷土資料となる事と思います。

写真にある社保病院前の洋館を初めて見た時は「”サイコ”(ヒッチコック)かよ!」と独りツッ込んでしまいました。
神田川流域の道は私も時折、散歩コースにしています。
先日は辰野川(野川?)に沿った道を行ける所まで行ってみた所終点には、趣きのある「庵」らしきお家が在りました。尺八か何かを御教授されているらしき看板が有りました・・・。
Posted by hawk at 2009年01月02日 17:26
hawkさん
度々のご訪問ありがとうございます。
このあたりは、戦災も少なかったのではないかと思いますがそのせいか古い町並みが残っています。
野川の「庵」は知りませんでした。

毎朝野川方面に散歩に行くブロガーさんがいますので今度聞いてみましょう。
Posted by まーきみ。まーきみ。 at 2009年01月02日 18:17
あけましておめでとうございます。
今年もまーきみ節でよろしくお願いします。

写真がビックリするほどあってコメント欄にたどり着くまで30分ほどかかってしまいましたよ(^▽^)
Posted by nissonisso at 2009年01月02日 18:25
尾崎は、祖父の姓です。
昔からよく聞く事なんですが、3代目が、店を潰すって言いますね(大汗)
Posted by セイコウセイコウ at 2009年01月02日 19:15
nissoさん
写真を撮るのも30分ほどだったかな?
そういえばNHKのど自慢が宇和島であるそうですね。

セイコウさん
3代目・・・早めに4代目にバトンタッチすれば問題ない!
って、フォローになってない??w
Posted by まーきみ。まーきみ。 at 2009年01月02日 20:53
上の画像に書かれている文字を入力して下さい