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<title>新・気功的整体師の奮戦記</title>
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<description>宇和島の海辺の町で究極のリラクゼーションを目指して整体施術をしています。</description>
<language>ja</language>
<pubDate>Wed, 06 Feb 2008 19:21:52 +0900</pubDate>
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<title>お休みの風景（夕涼み）</title>
<description>戎山この季節になると、近所の海岸で見られる「風物詩」とも言うべき景色がありますそれはたこつり夕食が終わった後、夕涼みしながら、糸をたれる。昔は生きた蟹を使っていましたが、今はルアーです。気がつけばあっちにもこっちは大勢で釣った現場を見たのですが、カメラを取りに帰ってる間に既に〆られていたその後いくら待っても釣れないので帰りました。でも、この日は大漁だったらしい。ここで２３日には花火が目の前で打ち上げられます。去年拾った花火の殻　波平さんではありません。わたしは仕事で見られないせめて画像で見せて欲しい。皆様、お祭りレポートお願いします！</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Tue, 15 Jul 2008 07:57:05 +0900</pubDate>

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<title>１０日えびす　遥かなるノスタルジア</title>
<description>その昔、ここは私の仕事場だった。毎日ここを駆けずり回った。もちろん、その事を知ってる人は少ない。今のブローガー各位の家にもお邪魔した事がある。その方たちの、親御さんかその親御さんの時代。ここを毎朝自転車で走ると、坂道なのだなとしみじみ思った。３５年前の中学校時代、新聞配達のエリアだった。今は廃刊になった「日刊新愛媛」その頃は宇和島で印刷していた。お世話になった販売店の社長さんは、今は不動産業をしておられるようだ。懐かしい車　カローラ１４００ｃｃ　その当時走ってた車か？この神社に、初めてお参りした。お札をいただきました。本来、男には縁が無い婦人服売り場に入ってしかも、ご馳走になるなんて、人生のスケジュールには入っていなかった。これも、恵比寿様のお導きか　　そういえば戎山の住人だし。もちろん、マルオー洋品店のはこさんのお人柄も時間の経つのも忘れて、しばしの郷愁に浸る。</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Thu, 10 Jul 2008 20:33:23 +0900</pubDate>

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<title>工事がとっても多いから、遠回りして帰ろう♪</title>
<description>朝起きたら、工事してた。仮の舗装を剥がして、本舗装するらしい。ほぉ～そう？さらりと流して重機の力で、面白いように、剥離していく。まさにはくりょく満点！すっかり剥がれた。アスファルトって、結構厚い。仕方ないので、今日は仕事の帰りには、遠回りして帰ります。戎山を逆周り。赤松遊園地方面です。左が九島　　向うは吉田町南君　　左の白い灯台付近が　「只波鼻」津村寿夫著　宇和島の明治大正史（前編）によると明治中期に宇和島でコレラが大流行して、たくさんの死者が出たとき、小船で只波鼻（本では"唯波鼻"とある）に運び、火葬してその場に埋めたとある。コレラで死んだ人は墓に入れず、火葬に家族も僧侶も同行しなかったと言う。高額の賃金で雇われた２人の人夫と衛生係の巡査のみ。当時、避病舎（隔離施設）に入ると「医師に強い薬を飲まされて殺される」と言う風聞が広く信じられて、患者を家に匿うようになり、余計被害が拡大したと言う。（この根拠のない風評は大正時代にも残り影響した）時代は変わってやっと自治制が整った明治２４年、初代町長山崎惣六は潮音時山に火葬場と共同墓地を新設すべく用地を取得したが、大正時代に丸穂に火葬場が出来て、結局その地は使われる事はなく共同墓地のみ残った。大正９年、再びコレラが流行した。９０人が罹患、うち３５人が死亡した。明治時代は大浦から、今回は内港の魚市場からどちらも船員がコレラ流行地で感染し持ち帰ったものである。市立病院はそれらの手当に追われ、他の入院患者は皆恐れて退院して行き、それまで順風満帆だった病院経営は悪化したと言う。（平年１２万人以上の患者が有ったがこの年は約８万６千人）明治時代の風聞を信じ、入院を怖がり愛宕公園のトイレに隠れていたのを探索していた主治医と助役に見つかり連れ戻されたと言う逸話もある（検査の結果は陰性）病院経営のみならず、周辺から宇和島に人が来なくなり経済その他、大きな打撃を受けた。　宇和島市が県下に先駆けて上水道を敷設したのは、それらの被害があった事も大きな理由の一つである。いつの時代にも変革には犠牲者と言うものが存在する。その事を忘れてはならないと思う。帰って来たら、舗装が終わっていた。明日からは車は通常通り通れます。期間中に来てくださった皆様、ご不便をおかけしました。</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Tue, 24 Jun 2008 23:08:52 +0900</pubDate>

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<title>小さな「お亥の子」石？</title>
<description>近所の家で見つけました。「お亥の子の石やろう」と言うことでしたが、こんな小さかったか？と聞くと「子供の石やろう？」あ～そうか～～って、大人用の亥の子石ってあるのか・・・・・？これくらいの大きさです。裏になんか文字が？いったい、これは何だろう？</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Wed, 11 Jun 2008 16:15:45 +0900</pubDate>

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<title>おタヌキさんの果樹園</title>
<description>家の裏山に、５ｍほどに成長した夏ミカンの木が有ります。実まででも、３ｍくらいあるので、手が届きません。だからそのままですと収穫できません。出来ませんが困りません。なぜなら、この家に越してきて45年ほどになりますが、一度もとった事がないので放置かい(ﾟДﾟ)ﾉﾊﾞｼｨｨｨｨｨｨｨｨたまにカラスが突っつきます。屋根に落とされてびっくりする事もや～～～ねぇ・・・・・・・さて、他にも果実があります。実がついてきたビワ。　あちこちに芽が出て、だんだん木が増えて行きます。子供の頃はよく取っていましたが、これも、いつしか取らなくなりました。するとある年、地面にこんなものがビワの種です。　タヌキの仕業らしい。昔から俗に言う「タヌキの溜め〇〇」でしょう。すぐ家の近くにも昔は絵本でしか知らなかった動物が出てくるようになりました。イノシシがタケノコを荒らすのもそう遠い事ではないかもしれません。しし鍋が食えるかな？</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Sun, 25 May 2008 13:19:27 +0900</pubDate>

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<title>山道を行く　番外編</title>
<description>タケノコが伸びてしまっています。成長が早い！サンキラの葉とか言いました。餅や饅頭の台紙に。子供の頃よく取りに行かされた。食い物が関わると、働くまーきみ。甘酸っぱい野いちご　タッパーを持って来れば良かった背が高いためか？放置されてるみかんこれも一個だけ　黄色い実はなんだろう？蜂の巣箱？ここにも人がスイカとジャガイモか　網は動物よけ？柑橘類の若木桃栗三年、みかんは？放置され、草が巻いてしまったモノラック。青空にトンビ　のどかそうだ。枯れた松か？たんぽぽです。数々の風景が、現在の山事情を物語っています。荒れ放題ではなく、手入れが行き届いている畑も多くてホッとしました。自分に出来る事は何だろう。間に合うかもしれない。今なら。今の自分をかえるのは今なんだ。（よしだたくろう）</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Sun, 18 May 2008 07:36:14 +0900</pubDate>

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<title>山道を行く　３</title>
<description>下のほうから、聞き覚えのある声がしました。近所の古老が夫婦で山仕事をしていました。みかんを貰いました「カラーマンダリン」と言う新種らしい。山仕事をする古老若い頃、都会で暮らしていた古老の妻は「空気が全然違う。ありゃ生活するところじゃない」と言います。「町は山から眺めるもの。若い頃はネオンに誘われてパチンコによぉ行ったが」と笑います。そういえば、昔パチ屋でよく顔を合わしました年を取っては、山で会うようになるのか接木をした柑橘　新種はほとんど古木への接木です。芋の苗床宇和島湾の内と外が同時に見渡せる場所　　石応、堂崎方面こちらは、宇和島湾に向かって走るヨット　この日はレースの前日だった。三輪車があります。　このあたりは戎山の裏側になります。　鶯やホトトギの声が響き渡っています。左は九島の北東部　奥は吉田町九島の全景が見えてきた。こんな沼があります。　河童の三平でも出てきそう・・こんな草原が続きます。進んでいくと赤灯台の上だった！随分山の尾根を北進したんだなぁこの森林は、鳥や動物の住処でしょう。ここで旅は終わります。今度はまた、別ルートを歩いてみましょう。</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Sat, 17 May 2008 06:42:16 +0900</pubDate>

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<title>ウミヒコ　ヤマヒコ</title>
<description>小学校の時、『ウミヒコ　ヤマヒコ』山本　有三〈戯曲〉と言うのを国語の時間に習った。釣り針をなくしたヤマヒコを兄のウミヒコが叱る場面が、自分が怒られているようで切なかったが・・（ウミヒコ）強情なやつだな。なぐられたら、なぜ、泣かないんだ。なぜ、「わぁっ」と泣かないんだ。そんなひねくれた根性だから、きさまには、すなおなことができないんだ。－ひとこと「すみません」と言いさえすりゃ、なんでもない～ヒィィィィィ（ﾟ□ﾟ;ノ）ノ　うぎゃ～～そんなに責めないで～～まるで、パパに貰ったメロンを、自分の居ない時に食べようとした・・と言って暴れる寅さんみたいだ・・・・また、マニアックな事を「男はつらいよ」15作　寅次郎相合傘より寅さん　　　「俺の言ってるのはメロン１切れの事を言ってるんじゃないんだよ！この家の人間の心のあり方について俺ぁ言ってるんだ！」おいちゃん「何を一人前の事言いやがって！」それはともかく、最近散歩してると釣り針を見つけた。子供の頃は釣り針は高価で貴重品で、捨てるなんてとんでもない！拾ったらラッキーしかし、こんなに落ちてるとキケンだ。ウミヒコや寅さんじゃないけど「オレはマナーがどうだとか、ゴミがどうだとか言ってるんじゃないんだよ！限りある資源は大切にって事をいいたいんだ」わずかの時間にこれだけ回収しました。　美しい海のためにも御協力ください＼(^o^)／</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Fri, 16 May 2008 11:40:15 +0900</pubDate>

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<title>山道を行く　２</title>
<description> 丘をのぼって下界を見ると 　小さな世界がそこにある　人はあくせくどこへ行く　人は疲れた足どりで　しかも人はいそいでいた　「おろかなるひとり言　（よしだたくろう）」さらに頂上を目指します。突然、眼下に海が開けます。さらに近づいてみると海に吸い込まれそう！ちなみに、下から見たところ築地方面から見たところです。さらに頂上をあの倉庫があるところ付近が頂上です。小中学校の頃、ここは草原で、天気のいい日は寝転がって読書など・・運動のため、毎日鉄下駄を履いて上っていたこともありました。市街が一望できます。赤灯台も見えます大浦と徳洲会病院赤松遊園地と覗き岩がかすかに・・今度は、北川のもう一つの山を目指します。丘をのぼって下界をみると　小さな自分がそこにある　俺は生まれてこの日まで俺の道しか見ていない　しかも道はまだ遠い「同上」</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Fri, 16 May 2008 08:42:10 +0900</pubDate>

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<title>山道を行く　１</title>
<description>何年振りかに裏の山に登ってみた。これは、索道の支柱です。もう使われなくなったのでしょう。農業の衰退を象徴しているような、寂しい気持ちになります。幼稚園の頃、これらの機械の整備をしていた親父にウエス（機械を拭く為の古布）を持って行く途中、友達に会い話し込んでしまい、気がついて慌てて走って車に轢かれました。これを見ると時々思い出します。あの時の事は４０年以上経っても鮮明に記憶しています。お昼ごはんがウドンだった事や、夕べ近所の赤ちゃんと遊ぶ夢を見たことなどもこのあたりの畑は、きれいに整備されています。畑から取り出した石ころか。ここは長い間ミカン畑だったのを、他の作物に転用するために木を切って開墾したのでしょうか。ここからの景色　産業団地と自動車道路が見えます。徳洲会病院と大浦の埋め立てもかつては、畑の区画のため、たくさん植えてあった杉も大きくなりすぎて畑の栄養を奪い、日当たりが悪くなるためためほとんど伐採されています。取残されたミカンが。一部鳥に食われています。　木守のために残されたのか道なき道は、まだ続きます。</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Wed, 14 May 2008 05:11:48 +0900</pubDate>

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<title>山の井戸</title>
<description>かつて、子供の頃よく見た「山の井戸」を４０年ぶりに尋ねてみました。離農する前はこの畑を耕していました。　３０年ほど前、縫製業に専念した頃、他の事情もあって親戚に買ってもらった。叔父の話だと４反７畝（４７アール）の面積だそうです。「一人で面倒見るのには丁度いい面積」らしい。私は農業の経験がほとんどないのですが、その大変さは判ります。あのブロックで囲んだのが井戸　昔は囲いは無く地面とフラットだった。井戸の左側には山の水が出ている。井戸の左の谷には、雨が降れば川となります。水脈が流れているのでしょう。子供の頃の記憶では、これの倍ほどの大きさに思っていたですが、大人になってみると何でも小さく見えます。小さい頃は母親に連れられて来たのが記憶にある。母親が手鍬で掘る穴に豆を蒔いたのを思い出す。死んだ祖父さんや従兄妹と写ってる写真があるが記憶に無い。祖父さんはまーきみ。4歳の頃中風で倒れたので覚えてないのかもしれない。この井戸の中に、鮒や鯉を放流したり、水を飲んだりした記憶があります。この井戸は昔、死んだじーさんが掘ったものらしく、母親は「石垣はうちが作ってた時は無かった」と言いますが、確かにあたっと記憶しています。この山の麓に、昔水田があったそうですが私はもちろん記憶にありません。みかんの風景温州みかんの花が咲く頃、芳香は山を越え、家々まで漂ってきます。草刈も大変な仕事です。荒れた畑をたくさん見てきたので、管理されている畑を見るとホッとします。杉の枯れ木の左側は他所の土地、荒れていますが最近、手入れが始まったらしい。誰かがスイカを植えた直後か、水が撒かれている。いち早く野イチゴを見つけた。　子供の頃の楽しみでした。いただきまーす。　　この味は何時までも変わらない。帰りにタマネギを貰いました。この道も何度も通った道です。　歩いているうちに記憶が蘇ってきました。</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Tue, 13 May 2008 05:56:43 +0900</pubDate>

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<title>らくらくらっくモノラック♪</title>
<description>クマちゃんラクラク青い空～♪　ウサちゃんラクラク白い雲～♪まーきみ。小学校の頃良く見た、夕方のローカルのＣＭらくらくらっくモノラック～らくらくらっくモノラック♪クマとウサギが仲良く並んでみかん山をモノラックの横を歩いているアニメが思い出される方も多いだろう。余談この機械は国内では安定期を迎えたものの、現在では海外での需要が増え輸出も増加しているらしい。友人から「モノラックはなくなった」と聞いた記憶があるが、それは誤りであった。愛媛三菱農機販売株式会社あのなつかしい音楽が聴けます。株式会社ニッカリ米山工業株式会社死んだばーさんが若い頃「家のすぐ前が畑やったらええのに」とよく言ってたと親達が話していた。その頃は畑まで歩いて一時間以上かかったと言う。そんな農家により畑を近付けた物。モノラック　自宅の庭から庭から山へ続いている。これが近隣に設置されたのは私が中学校に入った頃か。うちの山にも設置された。それ以前はこれ索道　「サル機械」と呼ばれた。近所に設置されたのは、まーきみ。３歳頃　近所のおじさんが基礎の穴を掘っているのを覚えてる。その索道は、最早使ってない。　　今年初めに撤去された。モノラックのレールが続いている。　風景ふと、後を見ると急傾斜！　ヒィィィィィ（ﾟ□ﾟ;ノ）ノスキー場の中級コース並み　ここが終点　先年実施された国土調査の杭がある。ここからの見晴らし。　トンビが見えるかなトンビが目線と水平に大浦の埋め立て昔、防風林として植えた楠かなり上まで登ったのですが、疲れてのどが渇いて大変なので降りることに、石垣を崩さないよう慎重に。国土調査のための多角測量の杭　例の靴です。山は草に滑るので不向きだった。民家まで降りると、犬が吠える！あ！ポチだポチをかわいがるまーきみ。無愛想に家に帰るポチこの頃、子供の頃のようによく山に登る。いつか山全体を踏破してみたい。</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Sun, 11 May 2008 06:23:30 +0900</pubDate>

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<title>石山の大冒険</title>
<description>消防団でお城山の防火訓練に参加したとき、知り合いの教育委員会の人に「お城山の石垣の石は戎山からも運ばれた」と言う話を聞いた。戎山は古来より「石に土がかぶさってる山」と言われたらしい。30年程前、戎山の先端に下水の週末処理場ができると言う計画が持ち上がったとき、古老がその掘削の難易度を指摘したと言われる。そのせいだけではないだろうが、以後「宇和島造船所」が閉鎖しその跡地にに計画が変更になった。どちらも、木々に覆われて見え難いが、昔は岩とその前の石切り場跡と思われる場所が良く見えた。１）の岩あたりを右側から見たところ下　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　上　山道になっているが、大きな岩をを削って作ったのだろう。赤線の部分が元のラインと思われる。所有者の話では、この岩は、ずっと下まで続いていると言う。反対方向から見た上のほう赤○印のあたり。２）下から見た全体の画像　　昔は岩肌が全部見えた。下部上部上部を左から　崩落しかけている。　この部分は10数年前に一度崩れた。このあたりの石垣は、ここの石を使ったのであろう。工事は大正年間に始まったはず。岩の真下と手前の畑の間にはポケットのように穴を作っている。雨水や落石を、をまともに下に落下しないよう荷と言う工夫か。その中に降りて、岩と反対側の石積みを撮影。降りるときに付いた、足跡も見える。子供の頃、この岩肌のどこかに、子供がかがんで入れるほどの洞穴を見つけた。恐々入ってみると、３ｍくらい奥には入れた。今回その洞穴を探してみたが見つからなかった。地殻変動か土砂で埋まったか、それとも探す場所が違っていたのか。崩落しそうで、これ以上近づく事は危険だ。心残りだが、現場を後にした。戎山にはまだ数箇所、石切り場がある。いずれも草木深く、分け入るのは困難である。もう誰も、こんなー</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Tue, 06 May 2008 07:50:23 +0900</pubDate>

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<title>七転び八起き</title>
<description>昔、「七転び八起き」を「七転八倒」と間違えていた。苦しんでどうする戎山のシンボルとも言えるこの広告看板は、私が物心ついた時には既にあった。時折台風などで破損した時もあったし、草木で隠れてしまう事もあったが、再々補修してたのだろう。今も健在である。この焼酎の会社は広島の「中国醸造株式会社」と言うらしいが、何時どういった経路でここに建ったのか誰も知らない。灯台下暗しで戎山からはあまり見えない。対岸から見たとき「あーあんなのあったな～」と再認識する。一番目立つのは船であろう。かつては宇和島港から出入港する船は多かった。数年前、別府航路が廃止されてからは遠距離から来る旅客船は無くなってしまったが。畑の中に立っている。もちろん私有地大きさが判るだろうか？裏から見たところ左にかすかに赤灯台が見える大魔神のようだ。。。お城山が見える。なんだか知らんけど、あちこちにあった箱こんな鳥がおった。道は頂上へ。　頂上へのルートは何本もあって、子供の頃は全部熟知してた。船が下りるところ回転試運転か？砂防工事が整備されるのに、道や段々畑は放置され壊れているところもあります。遠くから見ると昔と山の形が随分変わりました。農家の人の話だと「人が歩かなくなったから」だと言います。道も畑も人が踏みしめているからこそ、形が残るのだとか。「歩かなくなった人々」には、離農した我家も入ります。これからも、もっともっと歩こうと思います。放置された段々畑が年々増える。</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Mon, 28 Apr 2008 07:25:11 +0900</pubDate>

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<title>招福太鼓</title>
<description>ドカドンドン～ドカドンドン～♪一本調子の鐘と太鼓の音で眼が覚めた。まーきみ。の安眠を破るのは誰だ！しかし、あの音どっかで聞いた覚えが！そうっじゃ！（常田富士夫風）鶴島公民館で校区の老人会有志で行なわれている「招福太鼓」の観光客船歓迎太鼓だろう。牛鬼も、そーこの倉庫に仕舞ってある。一般の立ち入りは禁止されてるので、対岸から福の神が大勢見える。観光客３年ほど前に、老人会で太古を数基購入し、三味線や鐘も加えて先生を呼んで定期的に練習していて老人会などでも腕前を披露している。最高齢の方は確か９０歳を越えるはず。近所のおばちゃんも参加してるはず。何もかも疲弊した感のある宇和島で、老人だけは（特にうちの地域の）元気だ。目標を見失いつつある我々前途ある有為な青年への壮大なメッセージなのかもしれない。元気と言えば明日レースに参加するヨットだろうか。赤灯台沖を走る。</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Sat, 26 Apr 2008 18:08:39 +0900</pubDate>

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<title>白船来航！</title>
<description>昨日、雨の中を仕事に向かうと、客船らしき船が停泊してた。どこの船だろう？テレビでは市長が英語で挨拶したらしいがうちの子が中学校の頃に外国船が来た時に、白人の男性にチョコレートを貰ったらしい。お礼にと剣道大会で貰った日本手ぬぐいを進呈して大変喜ばれたらしいが、英語は果たして・・外国からの観光客はバスに乗って市内の至るところに見物に出かけるが、たまにこのあたりを通訳とともに散策する事もある。以前、英国だったかその人たちが「花を見せて欲しい」と庭に入ってきた。大した庭ではないのに大変喜んでくれた。英国人は花が好きだ。自国にあまり花がない為か思い入れが強い。それがアロマテラピーやフラワーエッセンスを誕生させる土壌になったのだろうか。前記のブログに紹介したとおりその時、思いついて記念にと友人の浜田氏の絵葉書をあげた。これも大変喜ばれた。藩政時代は樺崎と、戎山に砲台があって、英国船が来た時に祝砲を撃ったらしい。『うわじま物語 -大君の疑わしい友 』（谷有二） この場所にかつて、英国船がはじめて来た時、藩主に請われて記念にと贈られたユニオンジャックが伊達博物館に保存されているらしい。そのような事を、彼女は知っていただろうか？戎山では近年になっても、山から砲台用の大砲の弾が出土し、それを転がして遊んだと言う人もいる。明治維新後、そのまま放置されたのだろう。外国船が時折来るけど、あまり宇和島をＰＲするイヴェントが市民レベルで企画されないのは残念なことではある。</description>
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<pubDate>Thu, 17 Apr 2008 13:20:35 +0900</pubDate>

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<title>初夏２</title>
<description>昔、海岸だったところ不法投棄を見張る監視カメラが設置されています。道路が整備されて増えたのがゴミでした。「ここを汚さないでください」　思いを込めて作った花壇でしょうか上の道路を含めて、山まで海岸でした。海岸を渡って先に進むのですが、大潮の満潮になると、山の上に獣道の様なわかりにくい道があって、夜釣りの時などはそこを歩きました。今も残っているか探してみました。上の道にそれらしきもの発見！ここが入り口、ちょっと分かりにくいかこの奥に道道が残っていた！右はサムネイルです。山側のサムネイル写真。放置された段々畑の石積みが判るでしょうか？この竹は、波打ち際に生えてた記憶があります。するとこの上も道だったのかも。この岩に突き当たりました。以前はこの岩と岩の間に道があったあのですが、３５年ほど前の台風で崩落してしましました。まだ道は残っています。古い木と岩の間が道です。「愛媛県」の石杭の前が道、随分落石がある。拡大図子供の頃はよい遊び場でした。山の道で知らないところはないくらい遊びまわりました。岩の全体像その岩の道を下りたところに古い祠がありました。昔の戎神社の名残です。現在の戎神社。明日の十日戎の準備ができていました。</description>
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<pubDate>Sat, 12 Apr 2008 01:05:43 +0900</pubDate>

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<title>初夏１</title>
<description>桜が終ったら、次は？「初夏」な～んだ～しょぅか～！ここは戎山の赤灯台がある防波堤付近（「戎ヶ鼻」と言う）今の道路の山際に、１ｍほどの古い道がありました。左の木の下あたりさらに防波堤まで進むと見えてきます。この石積みが護岸で、これより右は海でした。ちなみに海のむこうは九島です。このように勾配がありました。あのカーブで子供の頃、自転車で曲がりそこね、海に落ちた事があります。幸いに落ちたのは自転車だけでしたが、海の中に入って上げたので結局濡れましたがｗ更に進みます。前方の電柱の前あたりから、道が終わり海岸でした。前方に回り、反対方向から見たところ。上の道路を含めて、山まで海岸でした。以前は「戎山海岸」と言い、小学校の２年に遠足に来ました。「解散は学校に帰ってから」と言うことでしたが、特別処置でまーきみ。と隣の同級生だけ、現地解散が許可されました。ウニやヒトデがたくさん取れてみんな大喜びでしたようです。鶴島校区では最果てだった戎山ですが、以後友達が道を覚えて自転車に乗り、だんだん遊びに来てくれるようになりました。記念すべき第一号の訪問者は、社会人になってからも仲良しでした。九島丸が間近に見える。</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Fri, 11 Apr 2008 09:21:00 +0900</pubDate>

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<title>戎山の戎さま</title>
<description>近所のおばちゃんが嫁に来た頃、前を通るたびに足を止めて家に向かって拝む人がいた。不思議に思ってだんなさんであるおっちゃんに聞くと「あーあれは床の間の戎さんを拝みよるんよ」と言ったらしい。その家の床の間には烏帽子をかぶり釣竿と鯛を持ったややスリムな戎さまが鎮座してあった。それをまーきみ。が触ろうとしたら「いろうたらいけん！いろうたら噛まれるで！」と、その家の男の子が止めた。きつく親から言い聞かされていたのだろう。この戎像は、その家のおじいさんが、それまで保管してた人が、事情で都会に引っ越すようになったので代わりに預かったと言う。戦前戦後のごたごたの内に、戎神社は老築化してしまい、私が知ってる限りではがけ下に古ぼけた祠があっただけだった。再建成った現在の戎神社　昭和52年11月竣工　鳥居は平成14年4月完成　奉賛会長には予科練の「誠敬舎」運営に尽力した田中氏の名前もある。赤灯台この赤灯台より先の道路はかつて、半間ほどの人がやっと通れる道だった。子供の頃、自転車で曲がり損ねて海に落ちた経験がある。由来によると、伊達秀宗が入府後、西宮の戎神社から勧請し伊達家の直轄地として祭事が執り行われてきた。船舶がこの前を通行する時は、必ず舳先を社に向け家内安全、大漁祈願をしたと言う。その後、幾多の変遷を経て現代に至る。以下余談戎山は昔、今の堂崎のように海に突き出た半島で、人家を建てる平地は無かった。九島出身のＩ氏らの埋め立て工事により現在の区画が出来上がったのは、大正年間と思われる。古老の話では、工事に協力したお礼に戎山部落に数筆の土地が「共有地」として寄付された。その一部には今の集会所がたっており、当時飲料水として利用された井戸も現存している。古い登記簿に寄れば、それらの土地の所有権をＩ氏より部落の代表者数名に移転したのが大正７年１～2月となっていることから推察される。余談終る昭和５２年頃は、現在の道路が整備され、新しい神社を建設する運びとなった。以後、毎年4月10日には祭礼が執り行われている。招待されながら一度も行ってないが、今年あたりはちょっと行ってみようかなと思っている。昔の九島（昭和30年代）サムネイル</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Mon, 07 Apr 2008 12:42:23 +0900</pubDate>

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<title>戎山の芋畑</title>
<description>今日のお昼ご飯は焼芋でしたが、私は白米にしました。いつもの事ですが別に芋が嫌いなわけではありません。父母に芋を食わせて自分だけ白米一昔、いや４０年くらい前ならヾ(｀◇´)ノ彡☆コノ!親不孝者ガァ!!と、世間様の非難を浴びるとこですが食生活が大変革を遂げた現在では、単に「嗜好の問題」で済みます。さて、この芋は近所から貰った物です。唯一、芋を作ってる家私の知ってる限りでは、亡くなったおじいさんが丹精していた畑です。ミカン畑と違って、平坦なので、走り回るには最適でした。おじいさん(ﾟДﾟ)ﾉﾊﾞｼｨｨｨｨｨｨｨｨ　今更、解説は不要なので話を進めますがこのような道を抜けます。宇和島湾が一望できます。このように広い畑を、一人で管理するのは想像を絶する重労働です。まさに「犬の手も借りたい」私が子供の頃は、ミカンの木が小さかったのでまだ芋を植えていました。だんだん大きくなると、やがてやめました。この畑は今も昔も芋を作り続けています。親に聞くと、苗を植えるのはもうちょっと後になるそうです。このように、荒れた土地もあります。そこで取れた芋を頂きました。</description>
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<category>ご近所物語</category>
<pubDate>Mon, 07 Apr 2008 09:10:09 +0900</pubDate>

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